まくら
こんにちは、あきとです。
最近の新聞やネットニュースはウクライナ情勢一色ですよね。
今回はこのことに関連して、最近のヨーロッパ諸国における軍拡の動きについてまとめてみたいなと思いました。
自分でも情報を整理したいなと思っていた時候ですから、タイミング的にもちょうどいい気がしますしね。
見えない絵
ぼくは別にヨーロッパ政治の専門家でも何でもないです。
なので、ロシアが悪いとかウクライナが悪くないというような、二分割思考的な発言をするつもりはありません。
そもそも、ウクライナ侵攻を決断したプーチンの真意のすべてを正確にくみ取っている方は、世界中に何人いらっしゃるのでしょうか。
ぶっちゃけた話、プーチンひとりだとしてもおかしくないですよね笑
それくらい、いまの情勢は複雑怪奇なのです。
ゼレンスキーについても、彼がネオナチをほんとに嫌っているのかは定かではありません。
就任当時はネオナチを毛嫌いしていた彼も、2018年ごろからネオナチと近づいていたようですしね。ミンスク合意に反旗を翻したのには、ネオナチの影響力もあったみたいな指摘もされています。
両国の動きを見ていても、なにが正しいのかすらわかりません。
ロシアはウクライナのことを「偽装プロパガンダの発信国」と揶揄するし、逆にウクライナも同じようなことを言いはじめています。
国際社会に目を転じてみれば、国連をはじめとする各団体がウクライナのゼレンスキーを「絶対的正義」のように祀り上げることで、プーチン率いるロシアにたいして強烈な非難を浴びせている。
もう、何が正しくて何が間違いなのか、素人のぼくにはよくわからない。
ただ、ひとつだけ言いたいことがあります。
それは、「とりあえず、民間人を殺すような戦争はやめません?」ということです。
戦争において、政府の侵攻欲の渦に飲み込まれて命を落としてしまうような民間人を生み出してしまうことはあってはならないと思います。
そのためにも、「リスク」を前提とした狡猾な外交安保政策を淡々と進めていかなければならないのです。
目覚め始めた欧州
というわけで、ここからはヨーロッパ各国が「覚醒」し始めているいうことについて書いていきたいと思います。
EUという超国家共同体のもとで平和ボケに浸っていた欧州諸国。
ですが、至近距離で繰り広げられるプーチンによるウクライナ侵攻をうけて、ようやく二つのことに気づき始めたようです。
国家の胆力と底力
第一に、他国を寄せ付けない圧倒的防衛力の整備。
自国のことは自分で守るという自然な考えは、目の前にある程度の脅威がなければ認識されにくいものです。
あるいは、脅威があっても、その脅威がサイバー空間にあったり、宇宙空間にあったり、大陸や海を隔てた場所にあると、それらを臨場感をもってとらえることがむずかしくなります。
冷戦終了後の国際政治は、「みんな仲良くランランラン」モードで進んできたと思われがちですが、実は紛争・軍事トラブルまみれでした。
湾岸戦争、イラク戦争、同時多発テロ、北朝鮮核開発、IS問題、難民問題、中国による海洋支配、ジョージア侵攻、クリミア併合・・・。
たぶん、探せばほかにもあるでしょう。
こうした「脅威」がありながらも、ヨーロッパ諸国は目に見えるような軍拡に走ることはありませんでした。
それは、絶対的軍事大国アメリカの率いるNATOに守られていたからであり、目の前に迫りくるような軍事的脅威にさらされることがすくなかったからです。
しかしいまはどうでしょうか。
ロシアとウクライナの、もはや戦争ともいえる状況。
この戦争は、クリミア併合とかジョージア侵攻のような、国家の一部地域のみを標的とした軽々しいものではない。
すなわち欧州はいま、国家の首都をもターゲットにしているような国家間の戦争の勃発と、その肥大化を目の当たりにしているのです。
南部へルソンが攻略されたことは記憶に新しいですよね。ほかにも、東部スムイ州や南部ミコライフ州をターゲットにした生物・化学兵器をもちいた攻撃も危惧されているようです。ただ、ウクライナは防戦一方ですよね。反撃ができないほど軍事力が弱いのか、あえて反撃しないのか。よくわかりません・・・。
軍事力の規模で上回るロシアは、その気になればウクライナを全滅させることができます。
なぜなら、ウクライナの軍事力は、ロシアのそれに比べれば貧弱だから。。
このウクライナの状況に自らを重ね合わせたのが、ドイツであり、スウェーデンであり、フィンランドなどの欧州諸国でした。
軍拡に慎重だったドイツは、左派政党であるにもかかわらず軍事力の拡大を表明しています。
ソ連自体から顔色が意向を続けてきたフィンランドも、アメリカ海軍のF35Bの導入を決断しました。
自分たちを「すぐに」「確実に」守れるのは、地理的に離れたアメリカではない。
国家防衛の基本は自分たちの底力である。
そう認識するに至ったからこそ、これら欧州諸国は、軍備拡大という英断を下すことができたのです。
国際政治の現実
第二に、絶対的信頼など存在しないという国際政治の現実です。
原則的に国というのは、自分中心です。
自分たちの利益となることには目を向けますが、自分たちが不利益を被ることには背を向けます。
一見すると利他的な行動に見えなくもない「人道支援」みたいなものも、国連のような国際政治の中で政治的リーダーシップを維持しつづけるための手段の一つにすぎません。
国民の税金であれば、国のために使うことがあたりまえのように思われがちです。
けれども、その一部を自分たち以外の国のために使うことが長期的な利益に資すると考えられれば、利他的な支援を行います。
貿易も合同軍事訓練も首脳会談もそうです。
このように考えると、自分中心な国際政治の中で、相手のことを100%信頼するようなことは極めて危険だと思います。
いつだまされるのか、どこに落とし穴があるのか、知ったもんじゃありません。
現に、平和機関であるはずの「安保理」の一端を担うロシアは、どんな真意や目的があるのかはわかりませんが、軍事力という強権的手段を使って戦争を始めました。
平和な状態が永遠に続く保証はどこにもない。
どこかの国が虎視眈々と自分たちのことを狙っていないと言い切ることはできない。
そのためにも、「金」ではなく「価値観」でつながる本当のパートナーと連携しながら、泥にまみれた国際社会をしぶとく生き抜いていく。
そういう底力といいいますか、胆力というのが大事なのかなと思うわけです。
中国とつながりがある国の多くは、中国共産党からの「お金」を目当てにしているにすぎません。金の切れ目が縁の切れ目なのです。お金による縁は簡単に結びやすいですが、いとも簡単に綻びがみえはじめます。一方で、価値観を軸にしてつながりあう国家の連携はいとも崩しがたく、強固です。
安らかに眠る日本
・・・
はて、かつては東アジアの経済的盟主として君臨したものつくり大国・日本。
その日本の周りには、不確定要素しかないような国々がひしめいています。
- 南を見れば、軍事基地を自由気ままにつくりつづけている中国がいらっしゃり、
- 左を見れば、謎の歴史認識を絶対的正義のように振りかざしたがる韓国がいらっしゃり、
- 左上を見れば、誰それ構わずミサイルを放出しつづける糖尿病の指導者率いる北朝鮮がいらっしゃり、
- 北を見れば、民間人への殺戮をもいとわない戦争を始めてしまうようなロシアがいらっしゃる。
これほどまでにリスクに囲まれた国というのはさすがに珍しいですよね。
さて、その中で我が国日本は、どのような防衛態度を見せているのでしょうか。
当然、国防軍ぐらい持っている・・・。当然、軍事研究にきちんと予算を投じている・・・。当然、他国からの侵攻に備えた準備を整えている・・・。
つい、このように勘違いしてしまいそうになりますよね。
しかし、現実は全くの裏返しです。
日本には軍隊はないし、軍事技術と結びつくような研究すらも許されず、自国領土である尖閣にすら上陸することができない状態にあります。
それはおそらく、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以降も変わっていません。
自衛隊が「宇宙作戦群」を新たに組織したことは、衛星破壊兵器の使用が危惧される中ロに対する抑止力として考えれば評価できるかもしれませんね
これが、「眠りつづける」日本の正体です。
どうする、日本!
日本から一番近い国は、宗谷岬を挟んで50キロも満たない地点にある国です。
それは、韓国でも台湾でもない。
中国でも北朝鮮でもない。
そう、ロシアです。
ぼくは別に、日本が軍拡をして戦争を始めるべきだとか、そういう野蛮なことを言いたいわけではありません。
「軍拡→戦争開始」というステレオタイプ自体が正しくありません。
ただ単に、脅威の足音がじわりと近づいてきている現実がある。
であるならば、その脅威にたいするしかるべき対処・準備をしておくのが国家の責務なのではないかと感じているだけです。
軍事力の本質は、相手を攻撃することではなく、事前・事後的に自分たちを守ることだと思います。
そしてその守る力が強ければ強いほど、相手の戦意を失わせることができます。
言いかえれば、相手の攻撃などどこ吹く風だと思わせるほどの力をもつことができれば、敵の侵攻を未然に防ぐことができます。
日本が戦争をしないための力をもつことができるのは、はたしていつごろなんでしょうかねえ。
まとめ
ヨーロッパ諸国と日本を比べてみたときに浮かび上がる違い。
再エネ政策で大失敗したドイツでさえ、軍事面では現実を見ている。
エネルギー安全保障を考えて、原発の廃炉を先送りしたベルギーという国もある。
日本の外交が「顔色外交」と揶揄されることがありますが、それは国内政治にも言えます。
国民を無視しろとは言いません。
ですが、もうすこし政治的なリーダーシップを発揮できるような、力強い決断と意思で国民を引っ張っていけるような指導者が表れてくれることに期待したいです。
別にぼくは、ヒトラーのような力強さを求めているわけではありません。指導者に必要なのは、国民をまとめる「優しさ」と、国家を引導する「強さ(狡猾さ)」の二つです。後者が足りてないから、後者を求めているだけです。優しさがない人が代表の国は、簡単に分断されますからね。文政権のように。
雑記
なんか政治系の記事を書くとつい熱くなってしまいますよね。
よくない、よくない。
いろいろな考えの人がいると思考では理解していながら、ついつい文章の端々に自分の正しさを押し通してしまうような文言があらわれてしまいます。
悪い癖です。
まあ、ただの無料ブログなので特段気にしてはないのですが、まあ、がんばります。