AKITOの思考ノート

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【映画批評】ARASHI RECORD OF MEMORIESと辛口評価

こんにちは、あきとです。

ぼくは幼年時から嵐が好きで、今でもその楽曲をシャッフル再生しながら日常を過ごしています。

今回は、嵐の20周年ライブが映画化された「Arashi Record of Memories」を鑑賞してきたので、その感想を若干の辛口評価を交えながら書き残しておきたいと思います。

評価(高)

今回の嵐のライブフィルム、評価は10点満点中8点です。

ぼくは普段嵐のコンサートをパソコンで見ています。

僅か14インチの画面と比して映画館のスクリーンは平均約700インチ。その大画面が創る圧倒的な臨場感はまさに壮大で圧巻です。たとえば、嵐五人は赤色のルビー(?)を背景に神々しく登場しますが、その燦然たる煌めきは息をするのも忘れてしまうほど。加えて、ドームの観客席は、ペンライトが創る眩い色の輝きが幻想的で神秘的な情景を醸し出していました。大画面がなし得る業ですね。

「感謝カンゲキ雨嵐」から「言葉より大切なもの」に至る最初の曲の流れで早速テンションは上々です。画面から溢れ出る高揚感で、その場で立ち上がり、声を上げたい衝動を必死に抑え込んでいました笑。

やはり松本さんは稀代の演出家です。

広大なドーム空間に張り巡らされた数々の工夫はもちろん、曲に合わせた演出には観客を楽しませる要素がふんだんに盛り込まれていました。その演出を身体で実体験したい方は、ぜひ映画館へ足を運んでみてください。

評価(低)

嵐のコンサート映画は高い完成度と満足度を誇る圧巻の映像作品です。

一方で、今回の映画の一部には、ぼくが十分な満足を得られなかった点があるのも事実。次はその点について、ぼくの辛口評価を交えながら評価していきたいと思います。

①しつこいカメラ

一つ目が、カメラの多さです。

東京ドームでは、100台以上のカメラを使って撮影を行っていたそうです。今回の映画は、あらゆる視点から撮影された映像を使い、より立体的に会場を映し出す試みが行われていたといいます。

ですがぼくは、このカメラ台数の多さに少し辟易してしまいました。なぜなら、設置カメラ台数の多さゆえに、目の前の映像が目まぐるしく入れ替わるからです。

個人的には、一人一人の歌唱風景を落ち着いて眺めていたい。そして、特定の視点から撮影された五人の映像をじっくりと堪能したいと考えていました。

しかし、画面の切り替わりがはやいと、落ち着いて楽しむなんてもはやできません。忙しない映像に視覚も聴覚も追いつけないのです。

技術の進化は恩恵も弊害ももたらします。今回の作品には、若干の弊害を感じてしまいました。

②皆無のストーリー要素

二つ目の不満点は、ストーリー(ドキュメンタリー)要素の薄さです。

生のコンサート会場であれば、想い出深い多数の楽曲を披露して、観客の掛け声やペンダントとともに会場を盛り上げること自体に魅力があるのでしょう。そこにストーリー要素がなくてもあまり疑問には思いません。

ですが、ぼくが見たのは「映画」です。掛け声も手拍子もできない映画館でみる映像作品です。映画であれば、普通のコンサートとは一味違う工夫を凝らしてほしいと思いました。特にぼくが望んでいたのが、ストーリー要素です。

たとえば、嵐五人が歩んだ20年間を振り返り、一本の映画としての物語性を構成する要素があればより満足のいく作品に仕上がったと思います。

ここでぼくが取り上げたいのは、5×10のときの国立公演。

この公演で印象に残る場面が、五人が『明日の記憶』を歌唱した部分です。五人の生い立ちの映像・画像を、曲のメロディーや歌詞とともに振り返る場面。映像と歌詞がマッチしていて、五人が10年の中で経験した苦労や喜びがまるで自分事のように感じられるパフォーマンスでした。

さらに5×10では、五人が順番に10年間の歩みを語る印象深い場面もありましたね。長年嵐を応援してきたファンとしては喜ばしい演出でした。

ですが、今回の映画には、心の琴線に触れる独特のパフォーマンスが見られませんでした。代表曲を歌唱し、ラストを20周年の記念ソングで占めるという月並みの構成です。

もちろん、ライブそのもののパフォーマンスを否定するわけではありません。

ライブを映画化するのであれば、その特徴を生かした映像作品に仕上げてほしかったです。過剰な台数のカメラを盛り込むよりも、ファンの感情を揺り動かす繊細で工夫に富む要素を盛り込んでほしいなと思いました。

③アンコール問題

最後は、アンコールです。

今回の映画には、アンコール後のパフォーマンスがカットされていました。

単純な疑問。なぜ・・・?

アンコール後の演出は嵐のライブの醍醐味。私事ですが、ぼくが嵐のDVDを見る時に最も心待ちにする場面こそがアンコール後の演出なのです。では、この場面が総じてカットされた趣旨はどこにあるのでしょうか。

一部には、嵐の「再登場」を夢の「続き」と捉える意見も散見されました。コンサートの終着地をあえてカットすることで、その夢の続きをファンとともに心待ちにする趣旨があるのではないかというご意見です。

この意見は確かに、論理的には納得できる筋道のある根拠だと思います。しかし、理性では納得できても感情では納得できない。やはり、アンコール後の嵐の再登場を大画面で歓迎したかったぼくの気持ちは未だに変わりません。

まあ、ここで何度嘆いても仕方ありませんね笑。この場面はDVDで楽しみたいと思います!

まとめ

高評価の意見は、すでに他のサイトで散々書き込まれているので、今回の記事では逆に、個人的な辛口意見を三つ取り上げてみました。

感想をまとめれば、ストーリー要素とアンコールの演出があればより満足できたのかなと思います。とはいいつつ、五人のコンサートが映画化された作品を鑑賞できただけでぼくは大方満足しています笑。

ちなみにいま、もう一度見に行こうか思案中です・・・。しかしチケットは一枚約3,000円。中々悩ましいところです。

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