AKITOの思考ノート

あきとの備忘録

板チョコレートは一日一枚

#32 【嵐映画:辛口批評】ARASHI RECORD OF MEMORIESを見てきました。

目次

 

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まくら

こんにちは、嵐がすきなどこにでもいるような20代男性、あきとです。

ちょうど昨日、近くの映画館に、嵐の20周年記念コンサートを行った東京ドーム公演を映画仕様に再構成したスペシャルフィルムを見に行ってきました。

ヤフー映画みたいなコメント欄を見ると、まさに絶賛の嵐。

世界観がすごいとか、テクノロジーの進化がすごいとか、まさに夢の時間とか。

たしかに、「ライブの完成度」としてみると、引き込まれるものがあったのは間違いありません。

ぼく自身も、ステージの演出や衣装、ペンライト、映像構成などなど、20年を締めくくる最高のパフォーマンスに圧倒されました。

しかしぼくは、「??」と感じるような箇所がいくつかあったのです。

というわけで今回の記事では、ぼくが感じた疑問点をだらだら書いていきたいと思います。

だって、ネットには称賛の声しかないのだから、たまにはこういう感じの記事を書いておいたほうがいいのかなと・・・。

別に、ぼくは嵐を批判したいわけではないですよ。だってぼく、コンサート映像が流れる前に映った5人の若いころの写真をみただけですでに泣いてましたから笑。5人が映った雨嵐のシーンには完全に崩壊してましたし笑

カメラ移り変わりすぎ問題

一つ目が、カメラの多さです。

コンサートが行われた東京ドームでは、なんか120台とかそれ以上のカメラを使って撮影を行っていたそうです。ドローンもあったそうですね。

その目的は、映画を見る人にたいしていろいろな角度からの映像を提供したいとか、メンバーそれぞれの歌唱風景をさまざまな角度からうつしたいとか、いろいろとあったと思います。

ですがぼくにとっては、それが逆に「ちょっと邪魔じゃね?」と思えてしまうのでした。

個人的には、一人一人の歌唱シーンとか、五人全員が映っているシーンをゆっくりと眺めたい気持ちでいたんですよね。

ですが、設置カメラ台数の多さゆえに、目の前の映像が目まぐるしくいれかわるわけです。

「あ、ちょっと待て待て、変わるの早いって!」みたいなシーンが何度もありました。

実はこれ、5×20に限らず、最近のコンサートDVDでちょくちょく気になってはいたんです。

ですが、今回の映画はそれが度を越えてました。

ラッファーカーブじゃないですけど、何事でも度を超えると逆に満足度が下がっちゃうのかなと思います。

テクノロジーの進化がすばらしいのですが、ぼくの心はいかんせん「旧型」のままです。

心がテクノロジーに追いつけなかったのは、ぼくだけでしょうかね・・・。

あと、おかげで目が疲れました。

プレイリストのシャッフル再生

二つ目は、なんだかたくさんの曲をシャッフル再生しているだけのように感じてしまったことです。

20周年特有のパフォーマンスみたいなものがあまりなくて、たんたんと歌を歌って終わってしまった2時間のように思えました。

もちろん会場にいた方は、五感をフルに使って嵐と夢の空間を共有していたに違いありません。

ですが、ぼくがみたのは映画館。

しかも、歓声もうちわもなにもできないサイレント映画館。

だからなのか、いつも通りの歌番組の長尺バージョンを見ているだけのような感覚になってしまったんですよ。

しかも先ほども書いた通り、画面はせわしなく移りかわりまくるので、じっくりと映像に集中することもできない。

ぼくが思いえがいていた映画とは、すこし違いましたね。

ドキュメンタリー要素薄すぎ問題

次は、ドキュメンタリー要素がほとんど入っていなかったということです。

デビュー曲やハダシなどのいろいろな音楽を歌うことで、ファンと一緒に楽しく・しみじみと、20年間を共有したかったのは理解できました。

そういう演出もありましたからね、デビュー曲から歌うみたいな。

ですが、なんというんでしょうか。

せっかく「映画」にしているんだから、もっとストーリー性に富んだ映像作品に仕上げてほしいなと思うのです。だって、ぼくたちサイレント状態でおとなしく座ってるだけなんですからね。

5×10

ここで思い出していただきたいのが、5×10のときの国立公演。

あのときにぼくが一番感動したのが、「明日の記憶」を歌っているときに映し出された映像です。

5人の生い立ちを赤ん坊の時から振り返りつつ、喜怒哀楽あふれる人生を歩むことの儚さ、勇気を伝えてくれる「明日の記憶」という歌をうたいあげるシーン。

まさに映像と歌詞がマッチしていて、五人が歩んできた10年間の苦労や困難、喜びなどを映像を通して生に感じることができました。

ほかにも、10年間の活動を振り返るシーンもよかったんですよね。「はじめてドラマやりました」とか「初の国立でした」とか。

でも、今回のライブには、正確には「映画」には、そういう要素がほぼありませんでした。

代表曲を歌って、最後に5×20で占めるという構成。

まあ当時は、何百回?と公演してたらしいので、いろいろとつめこむのが身体的にきつかったんだろうとは思います。

いや、もちろんすばらしいライブであったと思うのですが、何度もいっている通り、ぼくがみたのが「映画」なんです。

変にテクノロジーとか映像技術とかに頼るのではなくて、もっと人の心を感情的に動かしてくれるような作品として上映してほしかった。

一ファンがこんなことをいうのはおこがましいですが、やっぱりそう思わざるをえないのです。

アンコールの後問題

最後は、「アンコールの後、テロップ流れるんかーい!」についてです。

ぼく、嵐のコンサートの中でも一番といっていいほど、アンコールの後のパフォーマンスが大好きなんですよ。

たとえば、beautiful worldのライブのときのアンコールは、感謝カンゲキとともに再登場するシーンでした。そのあとはファイトソングや五里霧中などで会場を大いに盛りあげて、最後に5×10のバラードで穏やかに幕を閉じるという、最高のアンコールパフォーマンスを見せてもらいました。

でも今回の映画では、アンコールシーンがまったく流れなかったんですよ笑。「えー!?ぼくの一番の楽しみがー!」という感じです。

だって、最高じゃないすか、あのシーン。

何万人ものファンによる「嵐」コールと、それに応えて悠然と登場する五人。

あんなお兄ちゃんみたいな優しそうな笑顔をする彼らを、まるで神様であるかのように、何万もの大群衆が迎え入れるという喜びの瞬間

終わりかけたと思われる夢の時間へのリスタートは、同時に、ほんとうの夢の終わりの時間へと近づく合図でもあります。

だからこそぼくたちファンは、はち切れんばかりの喜びとさびしさにつつまれながら、五人の最後の圧巻なパフォーマンスを目に焼き付けようとするわけです。

しかし・・・。

今回は・・・。

それがなかった!

たしかドーム公演ではアンコールの後、happinessやファイトソング、ピカンチダブルがあったはずなのに、それが流れなかった。

これが、ぼくが今回の映画にたいして抱いた最大の疑問です。

もちろん、映画の作成にかかわってくださった方々の名前を、嵐の歌をバックにして流したかった気持ちはわかります。

ただ、そこをアンコールで代替しちゃうっていうのはねえ。なんか、事情があったんですかね。

まとめ

先ほども書いたのですが、もういちど書きます。

「変にテクノロジーとか映像技術とかに頼るのではなくて、もっと人の心を感情的に動かしてくれるような作品に仕上げてもらいたかった。」

エキセントリックな映像美とかペンライトの光色変化とか、もちろん注目に値するような技術は大量につめこまれています。

しかし、いかんせんストーリー性がうすい。

これはたぶん、監督と感性とぼくの感性が合わなかったからだと思いますね。

いくらライブ映像とはいえ、曲がりなりにも「映画」なのです。

だったら、すこしくらいは「ドキュメンタリー要素」をつめこんだりしてくれてもよかったんじゃないのかなあと思うんでえーーーす。

雑記

別にぼくは、今回の映画が不満というわけではないですよ。

むしろ大満足。

だって、最もチケットを取りづらいアイドルのコンサートを超大画面で堪能できるんですから。

ただ、自分が感じた素直な疑問点を、一個人の意見として発信したかっただけです。

ですが、ぼくと同じような感想をいだいた人もすくなくないのかなと、思っちゃったりしてます。

いやあ、でも、あの五人がそろったシーンを見たときに感じた「安堵感」は半端なかったですね。もう、ね。うん、うれしい