AKITOの思考ノート

あきとの備忘録

板チョコレートは一日一枚

#8 保守は慎重で優柔不断?

全開の記事では、リベラルにたいする僕の考え方を書いてみました。

社会の進歩にとってリベラルな考え方は欠かせないものではあるものの、彼らは時には「過信家」で「おせっかい」で「合理主義」で「効率主義」であるというお話をしました。

今回は、保守に関するぼくの考えを書いていきます。

保守的といわれている人の多くは基本的に、「先人たちの歴史」や「個々人の自立・自由」を重視しています。また、人間の知性にたいして抱いている信頼性はやや低く、何でもかんでも進歩的な方向に社会を変革しつづけることに違和感をもっている人が多いです。

ちなみに僕は、根っからの保守です

 

目次

 

保守と知性

メディアや雑誌などで保守にかんする話題が取りあげられた時に必ずといっていいほど目にする言葉があります。

それは、「保守(右)の人は一般的に、過去の歴史や伝統を大切にする」ということです。

ただぼくは長らく、「なぜ?」と思っていました。

なぜ保守の人は、長い間続いてきた歴史や伝統を大切にしたいと考えているのでしょうか。

頑固だから?優柔不断だから?

たしかにこういう理由もあるかもしれません。

ですがぼくは、もっと本質的なところに訳があると考えています。

それは、保守の人々は、人間の知性にそこまで大きな信頼をおいていないということです。

保守は慎重な人

数百年、何千年とつづいてきた歴史的な制度や文化の意味・意義・価値を問いなおすことに重きをおいているから、あまり急激な社会変化を望まないといわれています。

今まで積み重ねられてきたものが一気に瓦解してしまうことに心理的な抵抗を感じているし、新しくでてきた進歩的な考え方を一気に取りいれることに危機感を感じているからです。

「~が効率的だ」とか「~が生産的である」、「~は時代遅れだ」みたいな自称・進歩主義的な考え方にキャンキャン飛びついていくのではなく、あくまで慎重に物事をすすめることを好みます。

^右に行きすぎてしまうと、自分たちの過去の歴史や文化にばかりしがみついてしまう人が増えてしまいます。すると、他の人の考えを否定することになってしまうばかりではなく、他の国の文化や伝統をも見下すようになってしまいます。「超絶頑固なじいさん」みたいな感じです笑。ぼくは、自分の文化や伝統に誇りをもつのはすばらしいことですが、それと同じくらい、他の国のことも尊重しなければならないと思います。そうやって一つ一つの個性が生まれ、世界に多様性が生まれるのですから。

「理想を夢見て社会を変えつづけたい気持ちもわかるが、もう少し今の現実を見極めながらゆるやかにテイクオフをしていくのも悪くないのではないか。」

自分の理性や知性に絶大な信頼や自信をもたず、あくまで一歩引いた立ち位置から冷静に物事を見ることができる人々のことを、ぼくは保守と呼ぶようにしているのです。

おわりに

一見よくわからない保守という概念も、自分で文字に起こしながらいろいろと考えてみると新しく見えてくるものがありました。

ぼくはたしかに、急激な社会変化も望まないし、ただひたすらに「多様性」とか「マイノリティー保護」みたいな言葉を連呼している人を見ると少し引いてしまいます。

何をどう思いどう考えようと人の自由なのですが、その考えにたいしてどう思うか、どう感じるかも人の自由だと思うんですよね。

さて、ぼくみたいな若い大学生はリベラルな性格になりやすいらしいのですが、ぼくははやくから保守的な人格になってしまいました。

ただ、保守とかリベラルって、政治とか経済の考え方にとどまらず、日々の意思決定の大切な軸としてもはたらいていると思います。

たとえば、リベラルな親と保守的な親ってかなり教育方針が違いますよね。次回のブログでこのことについて取り上げますけど。

そういう意味では、若いうちから保守やリベラルといった中核的な理念を持っていることは、逆にすばらしいことなのではないかなと感じます。

「軸」がある人は柔軟な思考に欠けるという発言もよく耳にしますが、それは人によりますよね。個人の自由を大切にする保守的な人であっても、人の自由を奪うような行為をしている人の自由を取り上げることにたいしては賛成するかもしれません。個人的には、きちんとした理念や軸を持っているからこそ、時々の変化に応じた柔軟な考え方ができるのかなと考えています。