AKITOの思考ノート

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#14 立憲民主の公約に失笑「多様性を認め差別をなくす!」

 

 

次回の衆議院選挙をめぐり、矢継ぎ早に立ち上あがった新党「ファーストの会」や立憲民主党共産党との閣外協力が話題にのぼっています。

今回は、ぼくが思わず失笑してしまった立憲民主党の公約について書きつづりたいと思います。

 

目次

 

公約:多様性を認め合い、「差別のない社会」へ

この公約は、今から一か月近く前の9月10日付近に発表されたものです。

最近の公約としてはたとえば、国立大学の授業料半額や、年収1000万円以下の人の所得税をゼロにすることがあげられていました。・・・立憲民主は、国民民主の政策を見習ったほうがいい気がしますけれど

さて、まず多様性については、ぼくが以前書いた記事があります。

ぼくが多様性という言葉を軽々しく使う人を嫌う理由や、多様性の嘘くささなどに関する個人的な意見が書いてありますので、よろしければ・・・。

akito-library.hatenablog.com

 

問題は「差別のない社会」というもの。

立憲民主党が言いたいのは、性的マイノリティ(LGBTQQIAAPPO2S)や障がいの有無にかかわらず活躍できる社会をつくることで、お互いに尊重しあえるようなぬくもりのある国を創造していこう!みたいなことでしょうかね。

字面だけ見ると、うざいほどに聞こえがよく、呆れるほどに耳当たりがよく思えてしまいます。

すばらしいですね。

ぼくがこの公約をみて直感的に思ったのは、今の日本において、彼らにたいする深刻な差別や誹謗中傷が存在しているのかということです。

政治家が公約に掲げている内容は、政治家が実現したいと考えていること。政治家が実現したいと考えていることとは、まだ世の中で実現できていないことです。

すなわち、日本に深刻な差別がなければ、あるいは、日本に多様性を認めない風潮がなければ、「多様性を認め差別をなくす」という公約はただのきれいごとに過ぎなくなります。

果たして今の日本は、差別にまみれ、多様な考え方が認められない窮屈な社会といえるのでしょうか。

差別がない日本社会

アメリカやヨーロッパなどの欧米諸国と比べて、均質性の高い文化が維持されている日本は、極端な人種・宗教・マイノリティー差別はあまり行われていないと思います。

欧米諸国では、当然のようにアジア人差別が行われていますし、イスラム差別が行われています。たとえばNY市警察は2021年5月、アジア人を標的とするヘイトクライムの件数が、前年同期比で300%以上増加したことを発表しています。

何でもかんでも欧米と比べるのはぼくのポリシーに反するのですが、少なくとも日本でこういう極端な藩士を聞くことはほぼありません。

たしかに日本でも、SNSにおける外国人への誹謗中傷や、朝鮮人反日にたいするヘイトクライムがみられるのは事実です。

同性婚憲法上認められていないことから、LGBTQQIAAPPO2Sの権利が侵害されているともいえるかもしれません(ぼくは?ですけど)

ただ、こうした解決すべき課題にたいしては、いろいろな条例や法制度が充実してきている中で、確実に減少してきてはいます。

男女雇用機会均等法障害者雇用促進法、渋谷区?における同性婚合法化条例、川崎?におけるヘイトクライム規制条例などなど、立憲民主がいなくてもガンガン法整備が進んできています。

また日本には、わざわざ法律を作らなくても、「差別っていけないよね」という共有された考え方が根付いています。

いいかえると、ルールはみんなで守ろう。マナーはみんなで守ろうみたいな文化のことです。

日本人の美徳といえるような部分でもあります。

勤勉でまじめな日本人という民族がもっている特性です。

抽象的ですが、ぼくの肌感覚ではそう感じています。

果たしてそうした中でも、「差別禁止法案」は必要なのでしょうか。

アメリカのカリフォルニア州では、差別禁止法案をもとにしたくだらない裁判が多発しています

つまり、自分の発言が相手にとって差別と感じられれば、ガンガン訴訟を起こされてしまうのです。

今回の記事が、立憲民主の枝野さんにとって差別的だと受け取られてしまえば、ぼくは起訴されるかもしれません。

裁判沙汰になることを恐れて自由な言論活動が抑制されてしまう。パノプティコンのごとく、人とのコミュニケーションに極度に気を配るようになってしまう。

そんな国家、楽しいですか。

共産党による言論統制のような国家はで暮らしたいですか。

こんな監視国家は、ぼくは絶対にごめんですけどね。

実現しているのに公約にする謎

一人一人が周りに気を使いながら生活することができる日本において、「差別をなくそう」という公約を掲げるのははたして正しい選挙戦略といえるのでしょうか。

ぼくは、選挙戦略という点では、ある意味いえると思います。

一方で、誠実な政治家が掲げる公約としては、ひどく不十分だと思います。

ほかの人を差別するような文化自体、日本には根付いていないからです。

ではなぜ立憲民主は、これほどまでに嘘くさい公約を掲げているのでしょうか。

なぜなら、誰も批判できないからです。

そして、マスコミ・有権者受けがいいからです。

よく言われているように、具体化された政策ほど批判や論評の的になるものはなく、抽象的な政策ほど有権者受けがいいものはありません。

いい例が、直近の自民党総裁選に出馬した河野さんの発言。

「ともに笑い、ともに泣き、ぬくもりのある社会を作る」

そして、そのための政策が、ほかの候補者に罵倒された「最低補償年金」や「労働分配率による税制優遇策」でした。

・・・

なんだろう。呆れを通り越して、笑いを通り越して、もはや無表情。

しかし、こういう発言は非常に有権者受けがいいんです。マスコミ受けもいいんです。

立憲民主もこれを狙っています。

「反・反差別」や「反・多様性」のようなことを言う人はあまりいません。

言いかえれば、現代社会において、「多様性を認め差別をうんぬん」みたいな公約を正面から批判されることはないし、下手にあげ足をとられるようなこともない。

だからこそ立憲民主は、すでに実現しているようなことをわざわざ公約にせざるをえないのです。

ちなみに最近立憲民主は、日米安保の廃棄などを宣う共産党と閣外協力することを発表していましたね。

連立政権を組むことはないようですが、いよいよ枝野の迷走がとまらなくなってしまったようですな。

国民は「把握」を望む

ぼくたち国民が望んでいるのは、具体的な今の状況です。

今の社会がどうなっていて、経済がどれくらい落ち込んでいて、コロナがどれほど抑えられているのか。

そのためにはどの省庁がどんなことをするのか、どれくらいの国や自治体は支援をしてくれるのか、どれくらい我慢すればいいのか、どうやって経済を立て直すのか。

国内で起きていることをきちんと説明してもらわなければ、有権者であるぼくたちは何をどうしていいのかわからないのです。

そして、未来が分からないと、ぼくたち人間は不安になります。

この不安が、他人や政治家への不信につながります。

こうして起きた悲劇(惨劇)が、2009年の民主党による政権交代でした。

今回の立憲民主の公約は、ひどく国民の理解力をけなしているようなものです。

とりあえずきれいごとを書いておけば一定数の票数は得られるという考えが丸見えですからね。

自民党に対抗できるような野党になるためには、具体的で本質的な議論ができる公約を掲げなければなりません。そういう意味では、国民民主の経済政策はかなり的を射ていると思います。

国民に正確な情報を届け、未来にたいする不安を軽減してあげる。

できないことはできないといい、それを率直に説明する。

枝野さんの公約からは、そういう思いが全くくみ取れませんでした。せっかく党員の数が多いのに、与党に対抗できる勢力になりえないのはホントに残念です。

枝野さん。日本を変えたいなら、まずはあなたが変わるべきです。あなた自身が変わるのか、党の代表が変わるのかは勝手にしてください。

まともな与党になりたいなら、まずはまともな野党にならないといけませんからね。