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まくら
前の記事では、グループの話にどうしても入り込むことができない自分は「オブザーバー」であるという、よくわからないお話をしてみました。
今回の記事では、オブザーバーとして生きていくのも悪くないという「自己満足」的な内容を書いていきたいと思います。
まあ、そもそもブログを書くこと自体が自己満足なんですけどね笑。
オブザーバーという資質
この前の記事の主題は、「いつも集団と自分のあいだにみえない壁を感じてしまうこと」でした。
しかしこの壁って、オブザーバーという人種にとって不可欠なものだとは思いませんか。
だって、壁がないと、まともな観察ができないじゃないですか。
「壁」をいいかえると、ぼくが下手にグループと「癒着」してしまわないための「防護柵」なんです。
だって一般的な人であれば、程度こそあれ、集団とかグループにうまく入り込めるじゃないですか。
ぼくには、どうしてもそれができない。
どういうテーマの話をどういう方向にもっていっているのかわからないので、がんばって話に入ろうとすると、話の軌道をおかしな方向へ動かしてしまう。
だからやっぱり、「集団作業」みたいなことがほんとうにできない。
実際にぼくは、誰かと一緒に何か作業をするよりも、自分でコツコツとなにかを積みあげていくことのほうが好きなんですよね。
- こうやって一人でブログを書いたり
- 小説を読んだり
- ピアノをひいたり
- たんたんとジョギングしたり
- ふとしたときに映画館に行ったり
- すきな駅まで電車を使わないでゆっくり歩いたり・・・。
あるいは、新聞や雑誌を読んで世の中を静かに観察することにも、好奇心がビンビン反応しちゃいます。
であれば、それがぼくの資質なのではないか、ということです。
「コミュ力が高い」という資質があるのと同じように、
「単独行動力が高い」という資質もあるとおもいます。
そう考えると、世界には二種類の人がいるかもしれませんね。
レギュラーとオブザーバー
レギュラー
レギュラーというのは、その名前の通り、いろいろな人と話をつづけることができるし、グループの会話に普通に参加することができるような人のことをいいます。
まあ、ほとんどの人がレギュラーに属するんじゃないですかね。
嫌々ながらも人とスムーズに話せたり、嫌々ながらも飲み会とかで普通に会話に参加できる人のほうが多いと思うんですよ。
別に、ぼっちだからレギュラーではないというわけではありません。
最近やたらと「ぼっちですぅ!」みたいなことをいう人が増えている気がしますが、彼らの中にはまともなコミュ力をもっている人もいますからね。
ぼっちには二種類いますよね。
- 気づいたら「ぼっち」になってしまう人と
- 一匹狼にあこがれて、あえて「ぼっち」になりたがる人
後者の場合は、「ぼっち」を名乗ることを、あたかも「特別」で「かっこいい」みたいな風に解釈してる人が多いです。
ちょっと意味わかりませんけど笑
なので、ボッチの中にもレギュラーはいる。
逆に、いつも楽しそうに振舞っているように見えている人でも、実はまったく会話に入れていないかわいそうな輩もいます。
こういう人は、「自分を無能コミュ力者だと認めたくないと必死な自称レギュラー」です。
見てると、惨めになりますね。「うわ~~。あいつぜったい無理してるじゃん笑!必死やな~!」って。
オブザーバー
オブザーバーというのは、陰キャにしろ陽キャにしろ、ぼっちにしろそうでないにしろ、グループの会話に自然に参加したり、誰かとスムーズにコミュニケーションをしたりすることを苦手としている人のことをいいます。
オブザーバーが無理して会話をしようとすると、その場の空気を乱してしまうことになりかねないので、できる限り自重することが求められるでしょう。
って、なんかすごいニュース口調になっちゃってうざいですね。
まあ、それはおいといて。
オブザーバーは、基本的にレギュラーを外側から観察することを生業とします。
あとは、単独でいろいろなところに出かけて、レギュラーたちの喧騒に邪魔されない自分だけの時間を堪能することも得意でしょうね。
さて、たとえオブザーバーでも、会話をつづけることができる場合があります。
それは、会話相手のコミュ力が高い場合です。
大学生のぼくは同級生の友達が一人いるのですが、彼と話すときは、会話をつづけることができます。
なぜなら、相手の話し方がマジで上手だからです。
しかし、かわいそうな一部のオブザーバーは、このときに、「あれ、自分のコミュ力って意外と高いかも」と勘違いしてしまいます。
相手のコミュ力が高いだけなのに、あたかも自分の中に眠る潜在的なコミュ力の存在を誤って自覚してしまうことがあるのでぇぇーーす!
まあ、ほんとうに潜在的なコミュ力をもっている人もいると思うので、まあ、ね、。そういう保険をいいだしたらキリがないということです。
オブザーバーからレギュラーへ?
中には、オブザーバーからレギュラーになりたいと思う方もいるでしょうが、結構むずかしいと思いますよ。
だって、その場合、その人に備わっている根本的な資質を変えなきゃいけないですからね。
そもそもコミュ力って、ビジネススキルみたいにトレーニングでなんとかなるものじゃないと思います。
プレゼンのやり方とか、上司との話し方とか、そういうフォーマルな部分はある程度身につけられるかもしれませんよ。
そういう本とか動画って、腐るほどあるでしょう。
たとえば「~大学式:最強のプレゼン術」とか、「5分で即効!周囲に差をつける圧倒的コミュ力養成講座」みたいな、題名に草生えまくりの本とかめちゃんこありますからね。
でも、インフォーマルな会話のレベルを劇的に高めることなんて、たぶんほぼ無理です。
無理して高めようとがんばっちゃうと、まわりからイタイ目で見られかねません。
遺伝と環境
あと、コミュ力の高低は、幼いころの「養育環境」と「遺伝」で決まると思うんですよ、なんだかんだいって。
もちろん、社会人以降におかれた環境のおかげでコミュ力を高める人もいると思いますけどね。まあ、自分の仕事の知識が身につきはじめて、周りと会話が合うようになっただけであることが多い気がしますけども。
いまさら遺伝子を変えるなんて今の技術じゃとか法律じゃむずかしいです。
タイムスリップして新しく育てなおしてもらうなんてことも無理です。
なので、オブザーバーの人はその現実を受け入れてダラダラ生きていくほうがいいと思うんですよね。
だって、単独者として生きるほうが性に合うのであれば、そっちのほうがストレスかからないじゃないすか。
まとめ
とりあえず今回の記事で伝えたかったことは、世の中には「レギュラー」と「オブザーバー」の二種類がいるということ。
で、レギュラーからオブザーバーに転向することは可能だけれど、オブザーバーからレギュラーに転向することはほぼむずかしいよねってことです。
ぼくは、一人でなんらかの目標を決めて、それに向かってコツコツと頑張ることが割とすきなので、そういう性格を受け入れてダラダラ生きていきたいと思ってます。
雑記
あ、ちなみに俗にいう陰キャの人たちって、オブザーバーにすら入れていないと思うんですよね。
そう考えると、世の中には三種類の人がいそうです。
ぼくは陰キャのことを、「行動力が欠けている人」と勝手に定義しています。
一方でオブザーバーは、「単独行動力」とか「コツコツ努力型」のことです。
なので、行動力のない陰キャはオブザーバーですらない。逆にいえば、陰キャからオブザーバーに昇格することはできるかもしれません。
ぼくも中学くらいまでは、自分一人ではなにもできないことや、クラスのグループの会話に溶け込めないことに自己嫌悪していました。
でも高校生以降は、一人で映画行ったりしゃぶしゃぶ行ったりすることがあたりまえになったので、「行動力がない」人間からは脱皮できたんじゃないかなって考えてます。
おかげで今は、自称:オブザーバーとして暮らしています。