AKITOの思考ノート

あきとの備忘録

板チョコレートは一日一枚

#39 憲法は「理想と現実の橋渡し」

こんにちは、あきとです。

去年10月に行われた衆議院選挙で、今の憲法の一部を改正することを望む政党が議席の三分の二以上を占めたことで、いよいよぼくたち国民のあいだでも、改憲へのボルテージがじわじわと高まってきたような気がします。

ぼくだけですかね笑。

維新の松井さんがおっしゃるように、「やるやる詐欺」だけはやめていただきたいですけれども。

今回は、ぼくの考える「憲法観」についてだらだらと書いていきたいと思います。

理想と現実の橋渡し

憲法という言葉を一言で定義しようとするときに、現実主義者のぼくは、「憲法とは理想と現実の橋渡し」だと述べるようにしています。

憲法に書かれてあることは、憲法がつくられた当時目標とされていた国家の「理想像」です。

また、その理想像を体現するための決まりごとです。

では、何のための理想像であり、何のための決まりごとなのでしょうか。

それは、いまだその理想を達成できていない現実社会を変えていくためです。

日本国憲法

戦後日本の理想

たとえば今の日本国憲法は、1947年の5月に施行された大変歴史あるものです。

1949年からの浅薄な歴史しかない今の中国王朝よりも古いのですから、日本国憲法の古さには驚きますね。

当時の憲法は、戦後日本社会が歩むべき道を丁寧に指し示すことを目的につくられました。

  • 戦争はしてはいけない
  • 人の思考・行動の自由を不当に奪ってはいけない
  • 義務教育を無償にして教育の平等化を図る

などなど、戦後日本が良い国家として成長していくために必要な大事な要素がたくさん組み込まれていたわけです。

アメリカにはちょっとばかし感謝です。

たしかに今の憲法は、アメリカからの押し付けだといわれることもあります。

が、当時日本がアメリカに対抗できるすべがなかったのだから、今更そんなことをほざいても仕方がないですね笑。

ていうか、一国家のために憲法までつくってくれたアメリカにちょっとばかし失礼な気もします、「押し付け」みたいなことばかり言ってると。

理想は変わる

ですが、問題があります。

それは、「理想」とする国家像は時代とともに変化するということです。

たしかに戦後日本においては、一切の戦力をもたないという国家像が理想的だったかもしれません。

安保をアメリカに放り投げておけば、日本は経済成長に専念できますからね。

おかげで、焼野原だった日本は、いまでは立派な経済大国です。

ですが、現在の国際情勢にかんがみると、果たして安保をアメリカに放り投げるような姿勢が理想であるといえるのでしょうか。

エボラ出血熱のような高致死率の伝染病が流行したときに効果的な対策をとることはできるのでしょうか。

やたと「権利」や「自由」ばかりを喧伝するいまの憲法で、これからの社会を生き残ることはできるのでしょうか。

70年前の理想にとらわれたままで、物理的・思想的・サイバー的な外部侵略に耐えることはできるのでしょうか。

現実

爆撃物を放射しまくる北朝鮮と、歪んだ歴史認識に彩られた韓国、世界中華帝国の実現に向けてその歩を止めない中国という問題児に包囲されてしまっている日本にとって、いま実現すべき本当の理想の国家像とはどういうものなのでしょうか。

たとえば、国民の生命や財産を自力で守り抜くための戦力を、「正当」にもつこと。

侵略から身を守るための力を蓄えておくこと。

いわゆる「脱呪術化」の手段としての教育を、国民にあまねく提供できるための制度を充実させること。

義務教育のみの無償化に限定しないこと

このようなことこそが、改正される憲法に盛り込まれるべき内容だといえます。

日々直面している目の前の現実社会が変化しているのであれば、それに柔軟に対応していくために参照されるべき国家の理想像もアップデートしていかなければならない。

ここでいう国家の理想像とは、「憲法」のこと。

アップデートとは、「改正」のこと。

すなわちいまの日本社会に必要なのは、千変万化する環境における生残力を限りなく高めるための、また、国家の財産である人材育成の地盤を強固にするための「憲法改正」なのです。

理想が変わらない=進化しない

日本は、70年以上も国家の理想像が変わらない稀有な国であるといえます。

理想とする姿・目標とする姿が一向に変わらないということは、いまだ日本は「進化していない」ことと同義です。

進化しているならば、理想像は漸次的にアップデートされているはずですからね。。

しかし実際問題、日本は進化している。

いや、たとえ進化していないとだれかが強弁したとしても、日本の「周囲」は疑いようがない形で進化しつづけています。

中国の軍事力、北朝鮮の軍事力、韓国の詭弁力・・・。

周囲が変わっているのに自分が一切変わろうとしないなんて、怠惰であり惰性であり愚劣極まりない考えだと思います。

まとめ

まあ、いつまで70年前の理想にしがみついていれば気が済むのでしょうか・・・。

護憲運動の人たちは、たしかに「戦争はだめだ」と思っていることでしょう。

それはぼくもそうですし、改正派の多くの人もそうでしょう。

ですがそのための手段として、「戦力を一切もたない」のか、「脅威に対抗するための自衛力を蓄えておく」のか、意見の分かれ目があるようです。

しかしぼくは問いたいです。

中国が、戦力も持たないような無防備な国にたいして、優しい姿勢を貫き通すと思いますかと。

北朝鮮が、ミサイルをぶち込んでも何も言わない国にたいして、穏やかな姿勢を貫き通すと思いますか。

アメリカが、国債を買わせてもなにも文句を言わない国にたいして・・・。

雑記

本を読むときにぼくは、一度に数冊の本を並行して読んじゃう癖があるんですよね。

並行して読んでいる時間を一冊に注ぎ込めば、その分読み終われる冊数も増えるとわかっていながら、いろいろな本に次から次へと浮気してしまう変な癖があるのです。

まあ、それも一つの「読み方」だと思うのですが、いかんせん、一冊の進行スピードが遅くなってしまうのがネックです。

今度やってみたいですね、一冊の本だけに時間を注ぎ込むという実験を。