AKITOの思考ノート

あきとの備忘録

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#35 【国際政治】同じじゃね?リアリズムとネオリアリズムについて

まくら

どっかの記事で以前、コンストラクティヴィズムの超入門的な内容を書いてみました。

今回は、コンストラクティヴィズムを理解するために必要な理論である「リアリズム」について説明したいと思います。

で、次回は、ネオリベとか書いちゃおっかな!!みたいな。

コンストって、(ネオ)リアリズムと(ネオ)リベラリズムにたいする批判として登場した節があるんですよね。

なので、この二つの違いや本質をしっかり「理解」しておくことが大事なのです。

リアリズムの本質

人間の性格

「利己的」な人同士が、おたがいに仲良くすることがむずかしい。同様に、「利己的」な国家同士がおたがいに仲良くすることはあまり期待できない。結果、人間不信ならぬ国家不信に包まれた国際社会がうまれることになる。それが、政府という抑制機関の存在しないアナーキーである。

リアリズムという概念は、

「人間の心は結局利己的で邪悪で欲望にまみれているよね」

という、人間の「悪」の部分にフォーカスすることを出発点とする議論のことです。

たとえば、人間は自分のしたいように暮らしたいし、自分の食べたいものを食べたいし、自分の愛する人といろいろなこと(あんなこといいな!できたらいいな!)をしたいと考えていると思います。

もし人間が他人のことを十分に気にかけることができる「やさしい」存在であれば、人の行動をしばる憲法とか法律っていらないですよね。

でも現実はそうではない。

リアリストは、そう指摘しているのです。

荀子性悪説と似たところがありますね。

リアリストたちは、この考え方を国家にもあてはめます。

彼らは、たくさんの人間が集まってつくりあげられている国家という存在もまた、人間と同じような性格をもつのではないかと考えているのです。

すると利己的な国家は、自分が生き残るためにあらゆる労力を投資して、ほかの国からの攻撃に備えるようになるのです。

そのためにとる手段こそが、パワー、いわゆる軍事力をガンガン強めることです。

こういう利己的な国家でつくられた国際社会には、国家の行動をしばるための「政府of政府」みたいなものは存在しません。

普通の国家には、ぼくたちの暴力をとりしまるための警察とかがありますよね。でもリアリストは、国際社会には、国家の行動をとりしまるための世界警察みたいなのはないと考えます

このような状態のことを、無政府状態アナーキー)といいます

ちなみにアナーキーとは無秩序という意味とおなじではありません。これについては、ネオリアのところでお話しします。

安全保障のディレンマ

安全保障のディレンマ=安全保障環境を高めるための軍事力の拡大という一国の行動により脅威認識を高めた他国は、やはり自身の安全保障のために当該国と同様の軍事力の拡大という手段をとるため、国際社会における安全保障上の優位性が出現することが困難であることを指摘した考え方のこと

国際政治の教科書とかにいきなりでてくる「安全保障のディレンマ」というミステリアスな概念も、簡単に理解することができます。

ジレンマ=目の前に二つの選択肢があるけれど、どっちを選んだとしても、あまりいい結果を得ることができない状況のことを、ジレンマというらしいです。

たとえば、A国とB国とC国があるとしましょう。

どの国もリアリストが思い描くとおりに行動するのであれば、A~C国はすべて、自分たちの安全保障を高めるための「パワーアップ」を図ろうとします。

当然ですよね。

たがいに利己的であり、かつ信頼しあってないのですから。

さて、リアリズムにおける最大のパワーは、「軍事力」だといわれています。

いざというときにどれだけアタック・ディフェンスできるかが、一番大事なのです。

つまり、リアリストにとっての安全保障戦略は、「=軍拡一本だ!」ということになる。これは、モーゲンソーという天才が古典で書いています。

では仮に、A~C国がそれぞれ100のパワーをもっていたとします。ここでA国が軍拡を行い、A国のパワーが120になったとしましょう。

B国とC国は、これをどう思うでしょうか。

たぶん、

  • 「うわ!A国のパワー20%もアップしてるじゃん。おれもパワーアップしないとあいつに侵略されちゃう。最悪、生き残れないよ・・・」

と考えるでしょう。

よってB国もC国も、A国に負けないくらいのパワーアップを図るようになります。

たぶんBもCも、A国とおなじ120くらいにまで力を高めるでしょうね。

すると、あらびっくり!!

「パワーを増やして安全保障力を高めよう」というA国の思惑が、見事に外れてしまったのがわかりますか?

なぜなら、A,B,C国すべてのパワーが120に落ち着いたからです。

この状態は主に、二つのことを意味します。

  • 第一に、三国(A~C)のパワーは結局同じところに近似すること。
  • 第二に、一国の相手国にたいする脅威がさらに膨らんだこと。

安全保障の力を高めるための努力が、相手の力の増大をまねき、逆に自分の立場を危うくしてしまう。

こういうことを国際政治学では、「安全保障のディレンマ」と呼んでいるのです。

勢力均衡

しかし各国家は、安全保障のジレンマにいつまでも悩まされつづけているわけにはいきません。

さて、どうしようというときに登場したのが、「勢力均衡」という考え方です。

さきほどの、A~C国に再登場してもらいましょう。

この考え方は、やたら軍事力を高めたがる国(仮にA国)のわがままな行動を抑制するために、A国以外の複数の国のあいだでなんらかの協力関係をつくろうというものです。

そうすれば、A国の軍事力だけが抜きんでて高まってしまうような状況を回避できますよね。

たとえば、第一次世界大戦のときには、ドイツという強大な敵にたいして、イギリスやフランス、すこし遅れてアメリカが同盟を組んで対峙していましたね。

ただ、勢力均衡はかんたんにぶち壊れるものですし、そこまで国際社会を安定させるものではありません。

事実、世界大戦が二回も起きるという無様なことになっています。

やっぱり、アナーキーな国際社会という構造を安定させるためには、途方もない努力が必要になるようです。

ネオリアリズムの本質

じゃあ、アナーキーという状態の中で安定的な秩序を保つためには、どういう風に行動するのがいいのでしょうか。

このように、アナーキーという「構造」から、国家の行動を分析する方法を、「ネオリアリズム」といいます。

そしてネオリアは、どのような国際社会を築くことができれば、安定したアナーキーを維持することができるのかを分析しているのです。

たとえば、ある人は二極構造(米ソのような)がよいといいます。

ある人は、多極構造(ぐちゃぐちゃ)がいいといいます。

ある人は、覇権国家安定論(米国一強が安定する!的な)を説きます。

新旧リアリズムの根本的な違い

1:軍拡の理由

新旧リアリズムの根本的な違いは、第一に、それぞれの国が軍事力を高める理由をどのように説明しているかにあります。

旧リアの場合は、自分が相手から攻撃されたり侵略されたりしたときにたちむかえるようにするために、自分の生残力=軍事力を高める必要があると説明していました。

つまり、「人の本質は悪」だから、軍事力を高めると解釈しています。

軍事力を高めると、必然的に競争=戦争がおこると分析するわけです。

しかしこれにたいしては、「人の本質なんてわからないじゃないか!旧リアは非科学的だ!」という批判があったようです。

そこで登場したのが、新リアです。

新リアは、「アナーキー」という状態を生き抜くため必要な「合理的」な行動はなんだろうという問題提起からはじまります。その答えが、「軍事力」の拡大なのです。つまり、「国際構造がアナーキー」だから、軍事力を高めると解釈しています。

一般的な国家は、お決まりがかかれた憲法や法律があり、行政や立法、司法のような信頼できる組織がある・・・という感じで、各ユニットが秩序づけられていますよね。

しかしアナーキーという構造においては、自分のことを守ってくれるものはなにもない。そう、自分を除いて。

であるならば、各国家は「自助=軍拡」に頼らざるをえなくなるのです。

「人の本質=個人レベル」で分析する(=旧リア)のか、「構造=システムレベル」で分析する(=新リア)のかの違いですね。

2:勢力均衡のとらえかた

二つ目は、勢力均衡のとらえかたです。

旧リアの場合は、本質が悪である人によって構成されている国家は、必然的に戦争に走らざるをえません。しかしそれでは国際社会は安定しない。

てなわけでそれぞれの国の外交化や政治家が、自分たちに有利になるようなグループをつくるようになるわけです。

新リアの場合は、アナーキーという「構造」が、「必然的」に勢力均衡をもたらすと指摘しています。

なぜなら、アナーキーという舞台におかれた各ユニット(国家)は、自分たちの生き残りをかけることに必死だからです。

「軍拡」と「同盟」という二つの手段は、各ユニットが使わざるをえない戦略であるといいかえることもできるでしょう。

違いまとめ

これらの違いを一言でいうと、分析対象が「個人・国家」なのか、「国際構造(システム)」なのかです。

いわゆる、ウォルツの三段階モデルですね

前者の場合は、たとえば「ふつうの」ビリヤードを思い出してください。

ビリヤード版が国際社会で、球が国家です。

ビリヤードとは、ばらばらに散らばったたくさんの球が、無秩序に動きながら、お互いに衝突をくりかえすようなゲームですよね。

すなわち、利己的な国家や指導者はどういう風に動くのか、どういう風に衝突するのかを分析する。

旧リアは、まさしくそういう「ミクロ」な側面をみているのです。

後者の場合は、「球が無秩序に動かない」ビリヤードを想定してみるとわかりやすいです。

そんなビリヤードないですけど、たとえです。

このときに球は、数学的・合理的に正しいとされるような方向にしかうごきません。

ネオリアリズムは、国家は合理的に行動すると仮定しているからです。

つまり、どういう風に球をうごかせば下手に衝突をおこさないのか、どううごかせば球はアナーキー(ビリヤード版)上を安定してうごきつづけることができるのかを分析しています。

その結果導きだされた答えが、二極だったり、多極だったり、覇権国家安定論だったりするわけです。

まとめ

ネオリアリズムについてきちんと書こうとすると、記事の文字数がとんでもないことになります。

今回の記事でも、たぶん全体の1割も書けていない気がします。

いま書きたいなと思ってるテーマは、

  • ネオリアは戦争を予測するのかしないのか
  • ネオリアはなぜ冷戦終結を予測できなかったのか
  • アナーキーは本当に危険な構造なのか

などなどです。

リアリズムとネオリアリズムの違いを理解することは、めちゃんこ難しいです。

「個人・国家と構造の違い」とか言われても、なんのこっちゃですからね。

国際政治学がだいすきなぼく自身もまだ学んでいる途中なので、社会人になってからもいろいろな古典を読みながらたのしくブログを書いていきたいなと思ってますねえええええ

雑記

健康にいい食事は一日三食だとわかってるのですが、やっぱり朝っておなかがすかないんですよね。

理由はひとえに、夕飯を食べすぎるから。

ぼくはまだ実家暮らしなので、母親のつくる夜ご飯が本当においしいんです。いや、ほんとにありがたい。

なので、普通にごはん3杯くらいおかわりしちゃいます。

そりゃ、朝おなかがすくわけないよなって感じですよね笑

もちろん、起きたあとの血糖値は下がってるので空腹感自体は感じるのですが、おなかがパンパンだということです。

そんな状態で無理に食べると逆にからだにわるい気がするので、まあ、みそ汁すするくらいにしてるんですねええ