AKITOの思考ノート

あきとの備忘録

板チョコレートは一日一枚

#6 ワクチン証明書と「抗体」証明書の両立

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目次

ワクチンパス反対運動**

アメリカやイタリア、ドイツ、そして日本をはじめとする先進各国でみられている反ワクチンパスポート運動。

彼らの多くはこう主張しています。

「政府は、『ワクチンの接種を義務化することはしないが、ワクチンパスポートがなければ普段通りの日常生活を送ることができない』という。だがそれは、ワクチンの義務化と同じ意味なのではないか。」

個人の生命にかかわる問題に行政がいちいち手を出してくることに、ワクパス否定派の多くの人が反対しています。

しかし、別に彼らはワクチンそのものに反対しているわけではありません。

彼らの大方の意見は、ワクチンを打ちたいと思ってるなら打てばいいし、打ちたくないなら打たなければいいという、ごく自然のもの。ですが、そこに正解とか不正解という概念をもちこむことに反対しているのです。

また、致死率がわずか1~2%程度の感染症にたいして、国費をつかってワクチン接種を強制することにどれほどの意味があるのか、改めて問いなおしているのかもしれません。

そもそもコロナの致死率自体がよくわかりません。コロナの罹患者がなくなった場合、誰それ構わず死因が「コロナ」になってしまうからです。たとえば、肝硬変で入院した人がコロナに感染して亡くなった場合、その人はコロナの死者としてカウントされます。もしインフルで亡くなっていたら、そのまま肝硬変でカウントされます。あるいは、数か月前にコロナに感染して回復したが、そのあと持病が悪化して亡くなった場合も、コロナの死者としてカウントされます。死因をコロナにした方が、国からお金がもらえるからです(アメリカとか)。こういう事情があるので、ぼくはコロナの致死率自体に疑問をもっています もし今はやっている感染症が、致死率80%や90%の恐ろしいウイルスであれば、たしかにワクチン接種を半ば義務化することはやむをえないでしょう。

なぜなら、集団免疫の作成に参加しないということは、殺人級のウイルスを周りにばらまいているということになります。よってワクチン接種を強制することは、「誰かの迷惑になるので自由が制限される」という自由主義の論理にあてはまるからです(もちろん、蔓延の程度や安全性についても議論が必要)

ですが、算定基準に問題があることを差し引いても、新型コロナの致死率はわずか1%~3%くらい。たしかにこの程度の致死率であれば、個人の自由を奪いとるほどの根拠としては不足しているのかもしれません。

なぜワクチンパスポートが必要か

百歩譲って、日常生活を不自由なくおくる条件として、ワクチンパスポートの導入がはじまったと仮定します。

まずぼくが思う疑問は、なぜワクチンパスポートを見せなければ日常生活を送ることができないのかという根本的な問題です。

政府は9月9日、新型コロナ感染拡大に伴う行動制限を緩和する方針を打ち出した。ワクチン接種を済ませた人と陰性証明を持つ人は、自粛要請に基づく制限を段階的になくしていく方針だ。10月から実証実験を行い、11月に本格的にスタートするという。

国内版ワクチンパスポート・・・ 未接種種が大量に感染すれば医療がひっ迫することになるからでしょうか。感染の再拡大を防ぎながら経済を回復させることが必要だからでしょうか。

前者であれば、日本におけるワクチン未接種者の人数は毎日どんどん減り続けているのですから、そこまで問題視することではないと思います。

持病の人や高齢者は率先してワクチンを受けていますし、野戦病院的なものもどんどん作られていくらしいですからね。

後者であれば、そもそも感染の再拡大を防ぐことに意味があるのかを問い直さなければなりません。

人類がウイルスと共存しているのは歴史が証明していますし、コロナと共存しなければならない未来がくることもだんだんわかってきました。

「感染者数を抑えながら経済活動を回復させましょう!」みたいな耳当たりのよい事をいう専門家気取りのコメンテーターとかもいます。

誰かが言っていたあたかもそれらしい発言をそのままパクッてるだけのように思えるんですけどね笑。

ただ、「両立」って現実的にできるのでしょうか。

できないから、宣言を出してみたり引っ込めてみたりしてるだけの喜劇のような政治になってしまったのではないでしょうか。

危機状態における「中道」は、すなわち逃げです。

必ず、どちらかに重点を置かなければならない時がやってきます。

というか、すでに来ています。

蔓延防止等重点措置ではなく、経済活動等重点措置に移行すべきときも、きているのかもしれません。

抗体証明書の導入へ

ワクチンパスポートは日本でほぼ100%導入されるので、ここからワクチンパスポートと抗体証明書の併用について書いていきます。

そもそもワクチンパスポートの目的は、ワクチン接種によって、コロナにたいする抗体を獲得していることを客観的に証明することです。陽性になっても感染しない、感染しても重症化はしないような人だけで社会活動を回せば、過剰な感染の再拡大にはつながらないであろうという考え方です。

ここでぼくが思うのは、なぜワクチンの証明書だけにこだわるのかということ。

すなわち、なぜ「粘膜や細胞、リンパ球などのはたらきを総動員してつくりあげたオリジナルな抗体」の証明書は導入されないのかということです。

抗体、それも自分の免疫システムをフル稼働させてゲットした貴重な抗体をもっているのであれば、ワクチン接種者と同じような社会活動をすることを許してもいいと思うのです。

個人的には、自分の力で得た抗体の方が、針でぶち込まれることで得た抗体よりも強い気がします(ここは素人の意見なので聞き流してください笑)。

中には、抗体量の減少を気にする人もいるかもしれません。

その時は、定期的な検査を義務付けるとかすればいいと思います。

これについてはワクチン接種者も同様です。

接種者にたいしても、抗体が減っていないかどうかを確かめる検査を義務付ければいいと思います。ファイザーによれば、ワクチン接種後何か月かすると抗体が減っていくらしいですからね。

抗体証明とワクチン証明に有効期限を設ける。その期限を過ぎていたら、新しく検査したり接種したりしない限りは証明書としての効力が失われる。

これで、平等です。

まあ、あくまでワクチンパスポートなるものが導入されたことを前提とした議論ですけどね。

WHOは反対?

WHO=世界保健機関は、新型コロナウイルスの抗体検査をめぐって、「現時点では1度感染して抗体のある人が再び感染しない証拠はない」として、抗体がある人に「証明書」を発行して職場に復帰させることなどは、さらなる感染のリスクを拡大させることにつながるかもしれないと警鐘を鳴らしました。 NHK ぼくは、中学校や高校の生物の授業で、「人が免疫システムをはたらかせて獲得した抗体は、同じようなウイルスが体内に侵入したときに攻撃や防御などをしてくれるありがたい存在である」と習った記憶があります。

もしこれを否定するのであれば、人工的に獲得した抗体についても同じことが言えるのではないでしょうか。

つまりWHOは、「『ワクチンにより抗体のある人が再び感染しない証拠はない』として、ワクチン抗体がある人に証明書を発行することは、感染のリスクを拡大させることにつながる」と発言してもおかしくないはずです。

ぼくは医学の素人なのでよくわかりませんが、ワクチンの抗体と、人体が一生懸命ウイルスと闘って獲得した抗体との間に、そこまで大きな機能上の差があるのでしょうか。

なんでそこまでワクチンを打たせたがるのか、どうしてワクチン以外の手段(5類に下げて利用可能病床を増やす、治療薬の治験をガンガン進めるなど)を全く検討しようとしないのか。

なんだか今の世界、ほんとに何が何だかよくわからないです。

先入観のおそろしさ

人は自分の先入観を神のように信じたがる傾向にあるようです。

ワクチンがコロナ終息のカギだと信じれば、それ以外の意見がアホに見えてしまう。

コロナはとにかくやばいウイルスだと信じれば、いかなる制限緩和にたいしても否定的な目で見てしまう。

情報に惑わされないことも大事ですが、自分の先入観や思い込みに惑わされないことも、それと同じかそれ以上に大事なことなのかなと思いました。

ああ、はやく普通の生活がしたい・・・。

今日も駄文を読んでくださりありがとうございました。コロナでいろいろと意見が分かれている世の中ですが、はやく元通りの生活がしたいという望みは同じだと思うんですよね。