AKITOの思考ノート

あきとの備忘録

板チョコレートは一日一枚

【視線の恐怖】周囲の視線に怯えながら耐える60分の通勤電車

はじめに

こんにちは、あきとです。

ぼくは今年の四月に異動で勤務地が変わりました。

それが災いし、これまで徒歩も込みでトータル20分だった通勤時間が、約4.5倍の90分にまで膨れあがりました。

内電車の時間は約一時間です。

異動、おそるべし!

おかげでぼくは日々恐怖と格闘する通勤電車を過ごしております。

周囲に常に人間がいる車内。

交差する視線の存在を間近に感じながら視線と密集に耐える地獄の一時間。

密集空間で視線に怯えながら過ごす時間がたまらなく苦痛でかつストレスなのです。

視線が怖い

ぼくが車内で感じる苦痛の最たる原因は周囲の「視線」です。

  • 誰かが自分の身体を眼でガッチリととらえているのではないか。
  • 自分の横に立つ人間がぼくの横顔に視線をよこしているのではないか。

通勤時間の大半は、これらの疑心暗鬼との戦いからはじまります。

この疑心暗鬼を解消するには、「感じる視線は思い込み」であり、「実際は見られていない」という確信を得る必要があります。

その確信を得る方法は、まず、視線を感じる相手の方を見る。

そして、双方の視線が交差しないことを確かなければなりません。

このときのポイントは、視線を素早く相手方の方に向けることです。

ゆっくりと顔を向けてしまうと、顔を向けている時間の中で、相手がすかさず目を逸らしてしまう可能性があるからです。そんなのずるいですよね。見るなら堂々と見やがれ!と。

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自分でも愚かな通勤時間を過ごしていると自覚はしているんです。

ただ、視線恐怖症を克服するのは並大抵のことではありません。

かくしてぼくは通期電車の視線地獄へと落ちていくのであります。

ポジション取り

だからこそ、通勤電車ではポジション取りが大切です。

そのポジションとは、人間の視線をできる限り感じないで済む場所のこと。

このポジション確保が何よりの喫緊の課題となります。

ぼくは基本的に電車では座りません。

理由は目の前に「配慮が必要な方」が来たら彼らに逐一譲るのが億劫だからです。赤の他人との会話は神経をすり減らしますからね。立ってた方が楽!

ですから、いかにベスト・スタンディング・ポジション(BSP)を得られるかが、静謐・安寧な通勤時間を過ごせるかどうかの分水嶺になるわけです。

BSPの選択肢としては、

  • A:長イスの前
    →論外!人間の密集地帯の只中に自ら身をおくなど正気の沙汰です!もってのほかです!
  • B:日本人に人気のドア角ポジション(号車真ん中付近)
    →前にも後ろにも人が密集している点がネック!
  • C:日本人に大人気のドア角ポジション(号車の端)
    →背後の優先席を除けば号車全体を監視下に置ける絶好のポジション!
  • D:号車の端の優先席の前
    →ドア角ポジションに比較して乗降口へのアクセスが悪い!

結論、ぼくのBPOはCの「号車端のドア角」です。

毎朝この場所に狙いを定めて視線地獄の車内へと参上するのです。

まとめ

ぼくが視線を恐れるようになったのはたぶん中学三年生ごろからだと思います。思春期真っ盛りですね。

思春期は自分だけの世界を構築しはじめる時期です。

同時に、精神的にあらゆる感覚が鋭敏になる成長期です。

いわゆる自我の芽生えですね。

思春期の彼らは、自分だけの世界に、親や教師が土足で立ち入るのをひどく嫌うようです。

ぼくの場合、それが今でも引き継がれてしまったのかなあと思います。

ぼくの世界を安易に覗き込もうとする他者の視線に対する拒絶感・恐怖・憤り。

視線恐怖症もちの人は、引っ越してでも、通期電車を避けた方が無難かもしれませんね。