AKITOの思考ノート

あきとの備忘録

板チョコレートは一日一枚

# 【過去最高傑作】ドラゴンボール超スーパーヒーローのストーリーを勝手に評価

こんにちは、あきとです。

先週の金曜日に取得した年次休暇を利用して、一年近く楽しみにしていたドラゴンボール超の新作映画を見てきました。

去年?の梧空の日にサプライズ発表があってから早一年近く。

一度は公開延期になりつつも、ようやくお披露目となった今回の映画ですが、

ぼくは今回の映画を、ある一つの条件付きで見ることにしていました。

それは、動画やホームページをはじめとする新作映画の「予告情報」に触れないこと!

つまり、完全に「無」の状態で新作映画を見てきたわけであります。

予備情報をなにももたない人が、新作映画を見たらどう感じるのか。

いろいろと書きたいことはあります。

ただ、ストーリーにも作画にも登場人物にも触れていると文字数が偉いことになってしまいますので、今回は、まずは「ストーリー」に焦点をあてた自己中な感想記事を書いてみたいと思います。

・・・。まあ、ポスターやCMは嫌でも目に入ってしまうので、レッドリボン軍や悟飯が大いに関係している映画であることは知っていたんですけどね笑。

ストーリー

ストーリー面について一言でいえば、「古き良きドラゴンボール」と「戦闘マンガとしてのドラゴンボール」が絶妙に融合した新しいドラゴンボール映画の形をみることができた素晴らしいストーリーだったと思います。

正直なことを言うと、前作のブロリー映画のストーリーについては、周りの人が持ちあげているほど諸手をあげて評価したいとは思えなかったんですよね。

確かに、ゴジータブロリーの戦闘には息を呑むような迫力がありました。

また、幼年時代を過酷な環境で過ごしたブロリーの背景事情にも思いを馳せるものがありました。

ですが、なにかが物足りなかった。

バトルの迫力だけじゃ満足できない。

もう少しアドベンチャー要素というか、そういうものがほしかったのです。

その点、今回の映画はぼくが求めていたものがふんだんに盛り込まれていたと思います。

古き良さドラゴンボール

古き良き部分。

これはまさしく、本来のドラゴンボールがもつべき「アドベンチャー」要素と「ギャグ」要素、「憎めない悪役」の三つの要素に大別することができます。

アドベンチャー

アドベンチャーとしては、ピッコロの孤軍奮闘ぶりとレッドリボン軍の要塞に新鮮味がありましたね。

ピッコロ大魔王であれば絶対にやらないようなことでも、大魔王ではない純粋なピッコロだからこそできる慣れない潜入活動。

この部分に、笑える要素だけではなく、ピッコロの心の変化も見ることができた気がします。

また、レッドリボン軍の施設の独創性・近未来性にも鳥山先生の壮大な遊び心を見ることができました。

ぼく、ああいうSFチックなデザインが昔から大好きなんです笑。

とくに、鳥山先生の描く近未来的な自動車や家のデザイン・機能性には惚れ惚れしてしまいます。

まさしく、「そうさ、いまこそアドベンチャー!」な一面ですね。

ギャグ

ギャグについては、まさに鳥山先生の真骨頂ともいえる領域ですよね。

今回の映画の中にも、鳥山イズムがふんだんに盛り込まれていました。

中には、長年のファンだからこそクスッと笑える昔懐かしいネタもありましたね笑

いろいろ書きすぎるとキリがないので長くは書きません。

ただ、「ギャグ」を自然と物語の中に組み込んでしまう技術にはほんとうに頭があがりません。

あれは才能ですよね。

ちなみにぼくが一番好きなギャグは、ウミガメを助けてくれた悟空に対するお礼の品として亀仙人が選んだ「不死鳥」が、実はその前の年に食中毒で死んでしまっていたというお話です。

不死鳥なのに死ぬことに笑えるのではなく、その死因が「食中毒」というのがじわりとくるんですよね笑。

銃で撃たれたとか、そういう人為的なものではなくて、食中毒。

ほんと、天才的なセンスの持ち主だと思います。

憎めない「Dr.ヘボ

第三に、「悪役だけど悪い奴じゃない」系のキャラが挙げられます。

ぼくがドラゴンボールの中で一押しのキャラクターが、無印の最初のほうから登場しているピラフ一味のピラフ様です。

ピラフって、確かに物語の中の立ち位置としては、悪役だとは思います。

ただ、だからといって、根っから悪い奴っていうわけではないんですよね。

あどけなさというか、お茶目さというか。

デザインや振る舞いがなんとも愛おしいので、悪役だけど憎む気にはなれないんですよね。

そういう微妙なラインのキャラクターを描くのが巧みな鳥山先生が生み出した新しいキャラが、ガンマ1号と2号、そしてこれらを製造した「ドクターヘボ」です。

10代で博士号を取得した天才研究者・ヘボは、研究とか実験が大好きな超絶好奇心旺盛なキャラ。

ちょっと性格に癖はありますが、自分に素直な普通にいい奴です。

身長は、たぶんクリリンと同じくらいかそれよりも小さいくらいのおチビちゃん。

そして、体系は少し小太り。

もうこの時点で、ルックスがかわいいんですよね笑。

ただ、性格が正直すぎることが災いして、レッドリボン軍に吹き込まれたでたらめの情報を信じてしまいます。。

まあ、結局最後はレッドリボンの情報のでたらめさに気づいて、素直に悟飯たちに謝り、しまいにはブルマの家で思う存分研究をさせてもらえることになったんですけどね。

久しぶりに、鳥山先生のピラフ様的な立ち位置のキャラをみることができてほんとうにうれしかったです。

まとめ

今回の映画は、これまでのどの作品よりも鳥山先生らしいアドベンチャー要素と遊び心が入っているような気がしましたね。

たしかにドラゴンボールはバトルシーンにばかり注目が行きがちですが、

ぼくはどちらかというと、

愉快でかわいい個性あふれるキャラクターたちが大冒険をするストーリーのほうが好きなんですよね笑

バトルもアドベンチャーも両方あるからこそドラゴンボールが成り立つわけですし、両方とも好きなんですけどね。

 

#54【夏と西日とランニング】ストレスフリーなランニングを求めて

こんにちは、あきとです。

社会人デビューからはやく2か月が経過しようとしています。

4月に入社したときは、この奴隷生活が40年も続くのかと愕然としてました。

入社一か月で項垂れるなんて早すぎる気もしますが、まあ、なにか趣味にでも傾倒しながら長すぎる人生の暇つぶしをしていきたいなと考えています。

今回は、入社してから週6~7回のペースで続けているジョギングについて書いていきたいと思います。

RUN

さて、入社してから趣味がてら、運動というものをはじめてみております。

「はじめてみた」とは言いつつも、ぼく自身身体を動かすのは昔からすきなので、いままでも週に3回とか4回のペースで筋トレとかランニングとかに取り組んでいました。

ですが、社会人になってからは、一日の大半をデスクワークに奪われてしまうことが増えてきたので、必然的に運動不足が気になりはじめてきたのです。

であるならば、週に三回とかケチくさいことをいわずに、毎日決まった時間にからだを動かしてみようではないか。

そういう軽い気持ちで、運動をルーティンワークに組み込んでみようと一念発起したのです。

ストレスと西日

ですが、会社から帰宅した後に外の河川敷をランニングするときには、一つだけ大きなストレス要因となるものと相対しなければなりません。

それが、「太陽」です。

ぼくの会社は17時くらいに終業するので、家に帰れるのは17時30分前くらい。

夕方にあたる午後5時過ぎのランニングの敵といえば、やはり西日ですよね。

しかもいまは、日照時間が怖ろしく長い「夏」という時期。

夏の太陽は、地平線のかなたに沈むまいと長時間にわたり粘りつづける、ほんっとに質の悪いやつです。

そしてこの太陽こそが、夏の17時とか18時の時間帯にぼくの目を焼き尽くすほどの光を放ちやがるものの正体というわけ。

秋とか冬の時期の太陽は、17時を過ぎたくらいで大人しく沈んでいってくれます。

ですが、夏はそうはいきません。ずっと居座りやがるのです・・・。

正論を言えば、地球の公転軌道のせいなんですけどね笑。

時間

気持ちよくランランしたいにもかかわらず、ぼくの目を刺激しつづける強力な紫外線。

夕方は紫外線が弱くなるらしいですが、まあそういう小難しいことはおいておきましょう笑

この紫外線により、仕事のあとの運動を気持ちよく楽しむことができない。

そのために考え付いた解決策が、「時間」と「サングラス」です。

そもそも、夏の異常な日照時間の長さは、宇宙というアホでかいスケールが生み出したもの。

生命体のお母ちゃんともいうべき宇宙に文句を垂れ流したところで、結局なにも解決しないのは、火を見るよりも明らかです。

ただ、ほんとのところをいえば、早めにランニングと風呂を済ませて、19時くらいからはゆっくりディナーをいただきたいというのがぼくの本音です。

だから、走る時間をあまりずらしたくありませんでした。

ですが、二兎を追うものをは一兎をも得ず。

あれもこれもやろうとすると、結局西日というストレス要因に打ちひしがれることになりかねません。

しまいには、ランニングそのものに嫌気がさしてしまうかもしれない。

アホ長い人生の暇つぶしとして見つけたランニングという貴重な趣味を、「西日」というよくよく考えれば小さすぎる稚拙なことを理由にしてあきらめたくない。

以上のことから、ぼくはまず「走る時間」を変えることにしました。

具体的には、スタート時間を約1時間遅らせて、18時30分から走り始めることにしたのです。

サングラス

ですが、まだまだぼくの西日との闘いは続きます。

18時30分といえども、ふつうに太陽は居座りやがるわけです。

「いつまで西におんねん!」と言いたいほど、太陽はまだそこにいるのです。

さすがに18時30を過ぎれば西日もつらくないだろうという算段だったのですが、ぼくの目論見は見事に外れましたね。いやはや、夏、おそるべし。

ここまでくると、さすがに宇宙に文句の一つや二つも言いたくなります。

ただ、宇宙に文句を垂れ流しても何も解決しないのは、先ほど言及した通りです。

というわけで、次なる解決方法として私が選んだのが、サングラス。

「日照時間」という自然の摂理と対抗することができるのは、「物」という文明の利器しかありません。

中でもサングラスという「物」は、西日と戦いつづける篤きランナーたちの大いなる味方。

ちょっぴり高い買い物ではありますが、2000円という金額をはたいて利器を購入することを決したのです。

効果は、まあ、ありました。

サングラスに求めるのは、光のまぶしさの軽減効果くらいですからね。

求めていた効果をそのまま受け取ることができた、という感じです。

まあ、前を向いて走っていても、イライラを呼び起こすあの眩しさを感じずに済むようになったのはほんとうに大きな収穫でした。

どうせ走るなら、気分良く、ストレスなく走りたいですからね。

そういう意味では、サングラスはいいお買い物だったと思います。

共存

西日を嫌う社会人のわがままを和らげるために導入したいくつかの解決策。

それが、「時間変更」と「サングラス」でした。

夏の西日は避けたいけど、ランニングの後のお夕飯の時間をずらしたくない。

こんな身勝手、通用するはずがないですよね。

宇宙を変えるなんて無理なんですから、結局は自分が自然に合わせて共存していくしかないのかなと思うわけです。

まとめ

夏のランニングのあとの気持ちよさ、清々しさは何事にも代えがたいものがあります。

走り終わった後に感じる筋肉の弛緩と、それによりからだ中にじわりと広がる熱。

全身の皮膚や細胞を固く絞り出したかのように噴き出る大量の汗。

ぼくの場合は、この二つを体験したいがためにランニングをしているような節があります。

しかし、夏の夕方には「西日」という大敵に歯向かわなければなりません。

西日のせいでランニングを辞めるなんて言語道断。

すこしでも西日ストレスを緩和するためにぼくが考えたのが、走る時間帯をずらすことと、サングラスをかけながら走ることでした。

・・・

いや、だからなんだよ?

という声が聞こえてきそうなのですが、まあ、ランニングって気持ちいなってことです。

雑記

創作活動は、「身勝手」であるべきですよね。

誰かに見てほしいからとか、誰かに褒められたいからとか。

お金が欲しいからとか、閲覧数を稼ぎたいからとか。

だから個性が生まれるし、コアなファンも生まれる。

だから、ぼくのブログも、基本的に身勝手に書いています。

わがままにテーマを考えて、わがままに書いて、わがままに編集する。

わがままって、「我が儘」と書きます。

自分の好きなようにする。自分に正直に活動する。

それが、創作活動の根本だと思うわけです。

たとえば、最初はおもしろかったクリエイターも、大衆や視聴者に媚びりはじめた途端に、そのオリジナリティに陰りが見え始めてしまうことはよくあることです。

最近のテレビがマンネリ化・画一化しているらしいのも、出演者の細かな表現にいちいち文句を垂れ流したりするような一部の大衆に媚びりまくっていることが原因なのかもしれません。

もちろん、なにかを作ることの目的が「創作意欲」そのものではなく、「お金」とか「名声」であれば、がんがん大衆に媚びた方がいいとおもいます。

人気度や視聴率などを計算して創作活動をした方がいいと思います

ですが、特にそういう目的はなくて、ぼくみたいに、純粋に自分の好きなものをつくって自己満足したい人。

そういう人は、わがままに、身勝手にガンガン創作活動をしていく方がいいのかなと思います。

・・・以上のことを、最近会社の同僚と議論していました笑。

さて、次はどんな記事を書こうかしら。

#53 【着任一か月で公務員に絶望】期待を裏切らないつまらなさ

こんにちは、あきとです。

先月晴れて大学を卒業して今年の四月から公務員として働きはじめました。

いろいろとめんどうくさい規約があるので、ぼくの仕事内容について赤裸々につづることはできないのですが、ちょっとブログでストレスを発散したい事柄がでてきたので記すことにしたいと思います。

それは、公務員という仕事がいかにつまらないかということです。

ぼくだってもちろん、ある程度の退屈さは覚悟していたつもりです。

公務員の仕事内容に「驚天動地の面白み」なんてあるわけないですから、鼻から期待なんてしていませんでした。

もちろん、中には公務員の仕事に生きがいを見出している方もいると思いますし、職業によっては、時代を先取りするような研究開発を行っている方もいるでしょう。なので、まあ、十把一絡げに「公務員=たいくつ」と言いたいわけではないので誤解なきよう。

ただ、ぼくが今している仕事内容は、当初のぼくの想像をはるかに超えるほどの退屈さ・つまらなさを兼ね備えていたわけです。

あまり具体的なことはいえませんが、たとえば、「郵便発送」とか「FAX送信」とか。

マジで高校生とか大学生のパートの事務員でも雇った方がいいんじゃないかレベルのルーティンワークをやらされています。

一応ぼくにも、ある程度は難しいとされている大卒レベルの公務員試験をクリアして、(自分と相手が)お互いに都合のいいことしか言わない面接試験をクリアしてきたという自信があります。

ただの暗記試験じゃないかといわれればそれまでですが笑

もちろん辞めない

と、いろいろと自分のお仕事にたいして愚痴をこぼしてきたわけですが、別にぼくは公務員という労働から早期撤退するつもりはありません。

ぼくの職場はほぼ残業がないですし、土日祝日は確実に休み、有休もとれる(というか取らされる)というありがたい環境を享受できているからです。

むずかしい試験を乗り越えてきたからこそゲットできる至福の権利ですね。

公務員をやめるとなると、これらの恵みを自ら手放すことになります。

中には、公務員の退屈さに耐えきれない方もいるでしょう。

そして、自分に秘められた内なる可能性とやらを信じてしまい、

「自分には輝ける場所がきっとあるはずだ!うおお!」のような誇大妄想と自惚れに惑わされてしまう方もいるでしょう。

特にいまの時代の若者には、ぼくも若者ですが、ホリエモン症候群とかジョブス症候群にり患している方が多い印象があります。

これらの症候群に見られる症状としては、過剰自己愛や過剰自信症などがあります。自分の考えが周りよりも一歩進んでいるという浅はかな勘違いをしてしまう点もありますね。いや、イタイです!

なんか変な方向に話が進んでしまいました。

それはただの飽き性

公務員を含めて、いまの仕事をやめようがやめまいが人の勝手です。

ただ、仕事というのは続けてからこそそれなりの楽しさとかメリットが見えてくるものです。

「今」がつまらないからやめようという近視眼的な態度は、あまり生産的ではない気がします。

だってそれって、ただの飽き性であり、自分に合わないものはすべて認めたくないという子どもじみた精神性をもちあわせていることの証左でもありますからね。

まとめ

やっぱり公務員という仕事はつまらなかった。

それだけではなく、ぼくが予想していた退屈さをはるかに上回る非生産的な仕事ばかりをやらされる毎日を過ごすことになってしまいました。

ただ、だからといって仕事を辞めたいとは思いません。

ぼくみたいな現実主義者・心配性な臆病者からすれば、「要らぬ心配・無駄な不安」を抱えながら生きていかなくていいだけでも大きな価値になるからですね。

しかもぼくの職場って、成果主義・・・。

みたいなことを書くと記事が長くなりすぎるので、今日はここまで。

雑記

着任以来楽しみにしていたゴールデンウイークがはじまりましたね。

特にやりたいこととかはありませんが、のんびりしたいなと思います。

うん。といっても、たぶん暇を持て余すと思うんですよね笑。

まあ人生を生きること自体そもそも暇つぶしみたいなところがあるので、ゲームやら読書やらをしながら暇つぶしをしていきたいなああと思ってます。

#52 【公務員生活40年への号砲が鳴る】

仕事

こんにちは、あきとです。

今日の記事はちょっと短めです。

ついにおととい、長い長い40年間の公務員生活へのスタートテープが切られました。

とはいいつつ、ぼくの人生の仕事にたいするスタンスはあまり変わらないと思います。

「餅は餅屋」、「知性は運命を無効化する」というぼくの座右の銘も変わらないですし、仕事観も変わらないからです。

そもそもぼくが働きたい理由は、「認知症防止」と「お金欲しさ」の二つに収斂されています。

ぼくみたいに対人関係とか感情表現が苦手な人は、自分からだれかと話したり食事に誘ったりすることをほぼしないんです。

そうすると脳もぼけてきてしまいますから、まあ、なにかお仕事をしておきたいのです。

やりがい

やりがいとか社会的な貢献かんとかのたまう方々もいらっしゃいますが、そういうのって、働きはじめる前からかんじるものではないと考えています。

やりがいは働いているときに「ふと」感じるものです。

昨日より成長している自分を発見したり、新しいことを覚えることで組織に貢献していることを実感しているとき。

そういうときに刹那的に感じるものが、やりがいだと思うわけです。

公務員生活というのはいい意味では「安定」、悪い意味では「感情の横ばい」状態が続くような仕事です。

まあ、がんばってお勤めしたいと思いまっす。

#51 【ロシアありがとう】再エネの矛盾を整理してみる

まくら

こんにちは、あと一週間で社会人なのに春休み気分が抜けないあきとです。

この度、東京電力管内におきまして電力逼迫警報が発令されたことについて強く遺憾の意を表するとともに、エネルギー供給の持続性の圧倒的欠如を露呈した再生可能エネルギー戦略を見直すよい契機となるであろうことに、深く喜びを申し上げたいと思います。

いきなりウザい文章を書いてしまい申し訳ありません。

今回の記事のテーマは、「整理してみたい。再エネの矛盾」です。

ぼくは昔から「再エネ礼賛主義」にはどこか気持ち悪さを感じていたのですが、その理由を具体的に言葉として説明できるかといえば、あまり自信がありませんでした。

なので、「だったらブログで自分の考えを書いてみよう」と思い立ったわけです。

あと、やっぱりロシアのこともありますね。

簡単にいうと、ロシアは、ぼくたちが当然のように歩んできた道に隠された「自己矛盾」や「過ち」に気づくきっかけを与えてくれたのです。

ということだけを書いても、果たしてなんのことやらわからないので、以下で具体的なことを書いてみたいと思います。

再生可能エネルギーの幕開け

東日本大震災により明らかになった原子力発電所の危険性

地球環境を守ることを旗手に脱炭素(石油、石炭)を進めてきた国際社会。

日本では過去約十年にわたり、エネルギー供給における以上二つの新しいパラダイムに適応することが求められてきました。

そのためにつくられた戦略の大黒柱として期待されたのが、再生可能エネルギーという代物でしたね。

日本では莫大な補助金を再エネー特に太陽光ーに注ぎ込んだ結果、国土面積に占める太陽光発電の割合が世界一を記録するという、喜んでいいのやらよくないのやらわからないような業績を収めるほどになりました。

地球環境を守ることが目的なのに、投資による収益欲しさに林野を縦横無尽に切り開いて再エネをつくりまくることが「持続可能」なのかは知りませんがね。

実は管理がむずかしい「再エネ」

まるで「メシア」であるかのような信仰心を集めつつあった再エネ戦略ですが、こと最近については、そうともいえないような状況になりつつあるようです。

その原因は、主に三つ。

第一に、「不安定性」。第二に、「蓄電性能」。第三に、「国防」。

第一と第二の点についてはかなり有名ですよね。第三の点については、最後に少しだけ触れたいと思います。

たとえば太陽光については、日照時間が短い冬には期待している以上の電力を生み出すことができません。

じゃあ、光がさんさんと降り注ぐ夏はどうかといえば、今度は「つくりすぎ」の問題に対処しなければならなくなります。

日本に点在する大量のソーラーパネルが必要以上の電力を生み出してしまえば、いわゆる「電力需給バランス問題」へと発展します。

www.enecho.meti.go.jp

需給バランスとは、必要なエネルギー量と生産されるエネルギー量をそろえておかなければならないという原理原則のことです。

言いかえれば、貯めることがむずかしい電気は、多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけないのです。

しかしながら、太陽光や風力は、時々刻々と変化する電力状況に対応するほどの能力をもちあわせていません。

再エネのアキレス腱は日本のアキレス腱

そこでとばっちり・流れ弾を食らうのが、「火力発電所」なのです。

火力発電所は、フルで稼働していれば安定かつ大量のエネルギーを生み出せますし、そのコントロールもやりやすい大変便利な施設だといわれています。

しかし、その運営を再エネに合わせなければならないとなると、いちいち火力を止めたり動かしたりしなければなりません。

つまり、いつも以上に無駄なコストがかかってしまいます。

ことに最近は、電力自由化がトレンドです。

自由化により電気料金が低下して、十分な収入が得られなくなる。

電力会社は、稼働している火力をフルで回すことができないし、電気代収入にもさほど期待できなくない。

結果的に、老朽化した火力を立て直すほどのメリットも気力もなくなってしまうようになるのです。

ただでさえ原発の一部休止が続いているのに、エネルギー供給の屋台骨である火力までをも休廃止せざるをえない状況にあるというのは、十分な自立電源を得ることができないという日本の「アキレス腱」を直撃するほどの出来事であるといえます。

すなわち、再エネの弱点が、日本の弱点をさらに抉ることになるのです。

電力逼迫は予測済み

そりゃ当然、電力は逼迫しますよね。

実は経産省や東電はここ一年のあいだ、「来年の冬は電力が逼迫するかもね!」みたいな発言をつづけていました。

すなわち、予測済みでした。

原発の再稼働が思うように進まないところに、火力の休廃止という珍事がなだれ込んできてしまいましたから、電力が足りなくなるのも無理はないでしょう。

さらに加えて、ここ数年は奇跡といわんばかりにいくつもの不運が重なりました。

たとえば、

  1. メキシコ発の大型ハリケーンの影響で石油施設の運転が休止になり
  2. コロナ後の景気急回復に伴い世界的にエネルギー需要が高まり
  3. 2022の冬はラニーニャ現象を受けて例年以上に厳しい寒さに見舞われ
  4. ロシアのウクライナ侵攻でエネルギー価格が高騰し
  5. 今月中旬の宮城県沖の地震で一部の火力の運転が停止し
  6. 3月下旬にも関わらず雪が降るという謎の寒波に見舞われた

このように今年度は、今ふり返れば悪運にもほどがあるようなエネルギー危機に見舞われていたのです。

2022年3月に東北地方で震度6強地震が起きようが起きまいが、ウクライナ危機が起きようが起きまいが、日本の電力需給システムが制度疲労に陥っていたことは紛れもない事実なのです。

そしてその元凶は、再エネのエコ「っぽい」ところだけに着目して太陽光や風力の魅力をひたすらに喧伝し続けてきたことにあります。

グリーンニューディール

石油産業やシェールガスへの投資支援を表明していたトランプ元大統領とは違い、民主党のバイデン氏は、地球環境にやさしいエネルギー供給を支援するいわゆる「グリーンニューディール」政策を自身の政権公約の肝においています。

地球にやさしいことをすることに異論はありません。

ですが、バイデン氏肝いりのグリーン関連の予算は10兆ドルを超える天文学的な規模になります。

こうした「行き過ぎた」グリーン政策に歯止めをかけるきっかけとなったのが、今回のウクライナ危機にともなうエネルギー高騰問題です。

本来であれば世界最大の産油国であるはずのアメリカ。

世界中にシェールガスなどを供給すれば、今回のエネルギー危機を巧みにかわせるほどのポテンシャルをもつアメリカ。

その可能性をつぶしているのが、非現実的なバイデン氏の脱・嫌炭素政策だからです。

現在アメリカでは、共和党だけではなく民主党からも、グリーンディール政策にたいする猜疑心がにじみ出てきている状況にあります。

再エネと国防

新しい科学技術は、ぼくたちの世界をより良いものにするためにもちいられなければなりません。

そのためには、「謙虚」に「何度」も「ネガティブチェック」を繰り返していくことが求められると思います。

あらゆる観点からあらゆるネガティブな点を洗い出し、テクノロジーをさらによりよいものにしていく。

この原則は、再エネにもあてはまります。

太陽光発電の一部は、世界中華帝国の実現をもくろむ中国系企業により運営されています。

中には自衛隊基地の近くに設置されているものもあるため、国防に関するセキュリティ情報が中国によりレーダー探知されている可能性も否定できません。

最近話題の洋上風力についても同様です。

海の上で大規模な発電をする以上は、港近くに「港湾基地」という核設備を建設する必要があります。

中国はまたもやこれに目を付けています。

オーストラリアのダーウィン港やスリランカのハンバントタ港などなど、中国の投資勢力に押されて土地を貸し出してしまうような国家もあるのです。

wedge.ismedia.jp

外資により支配された土地の国防力は圧倒的に低下します。

自国政府の監視が届きにくくなるからです。

こうしたリスクを考えずに、再エネの「夢」と「希望」ばかりに焦点をあてるような現在のエネルギー政策には疑義を呈さざるをえない。

「エネルギー安全保障」という言葉がある通り、エネルギー供給の程度が千変万化する国際情勢に振り回されることは、もはや国難であるともいえます。

まとめ

今回の記事では、再エネを過度に信仰することにともなう「リスク」について説明してみました。

ただ、再エネにもポテンシャルがあることは事実です。

エネルギー貧国である日本にとって再エネは、おそらく唯一の「自立電源」ですからね。

原発にしろ火力にしろ、エネルギー源は海外です。

再エネは、無限の可能性を秘めた「自然」という生命の源からエネルギーを得ることができる革新的なテクノロジーだといえます。

しかし無限の可能性がある以上、それはプラスにも働きますし、マイナスにも働く。

使い方を誤れば、再エネのポテンシャルをつぶしてしまうだけではなく、望まない災難をも招いてしまうものなのです。

つまり、再エネとは諸刃の剣。

言い方は悪いですが、今回のウクライナ危機をよい機会にして、多くの方に「再エネの自己矛盾」に気づいていただけたらいいなと思ってまーーーっす。

雑記

あしたは大学の卒業式なんですよね。

卒論もTOEICも終えた後の3月というのは、学生生活の中でいちばんゆっくりできた時間だった気がします。

新聞読んで本読んでゲームして料理して筋トレして寝て・・・。

こんな生活が送れるのも、あと一週間くらい。

国家の下僕としてのライフがスタートしてしまう前に、思う存分いまの時間を楽しみたいと思います。

うん。

 

#50 【覚醒するヨーロッパとノンレム状態の日本】

まくら

こんにちは、あきとです。

最近の新聞やネットニュースはウクライナ情勢一色ですよね。

今回はこのことに関連して、最近のヨーロッパ諸国における軍拡の動きについてまとめてみたいなと思いました。

自分でも情報を整理したいなと思っていた時候ですから、タイミング的にもちょうどいい気がしますしね。

見えない絵

ぼくは別にヨーロッパ政治の専門家でも何でもないです。

なので、ロシアが悪いとかウクライナが悪くないというような、二分割思考的な発言をするつもりはありません。

そもそも、ウクライナ侵攻を決断したプーチンの真意のすべてを正確にくみ取っている方は、世界中に何人いらっしゃるのでしょうか。

ぶっちゃけた話、プーチンひとりだとしてもおかしくないですよね笑

それくらい、いまの情勢は複雑怪奇なのです。

ゼレンスキーについても、彼がネオナチをほんとに嫌っているのかは定かではありません。

就任当時はネオナチを毛嫌いしていた彼も、2018年ごろからネオナチと近づいていたようですしね。ミンスク合意に反旗を翻したのには、ネオナチの影響力もあったみたいな指摘もされています。

両国の動きを見ていても、なにが正しいのかすらわかりません。

ロシアはウクライナのことを「偽装プロパガンダの発信国」と揶揄するし、逆にウクライナも同じようなことを言いはじめています。

国際社会に目を転じてみれば、国連をはじめとする各団体がウクライナのゼレンスキーを「絶対的正義」のように祀り上げることで、プーチン率いるロシアにたいして強烈な非難を浴びせている。

もう、何が正しくて何が間違いなのか、素人のぼくにはよくわからない。

ただ、ひとつだけ言いたいことがあります。

それは、「とりあえず、民間人を殺すような戦争はやめません?」ということです。

戦争において、政府の侵攻欲の渦に飲み込まれて命を落としてしまうような民間人を生み出してしまうことはあってはならないと思います。

そのためにも、「リスク」を前提とした狡猾な外交安保政策を淡々と進めていかなければならないのです。

目覚め始めた欧州

というわけで、ここからはヨーロッパ各国が「覚醒」し始めているいうことについて書いていきたいと思います。

EUという超国家共同体のもとで平和ボケに浸っていた欧州諸国。

ですが、至近距離で繰り広げられるプーチンによるウクライナ侵攻をうけて、ようやく二つのことに気づき始めたようです。

国家の胆力と底力

第一に、他国を寄せ付けない圧倒的防衛力の整備。

自国のことは自分で守るという自然な考えは、目の前にある程度の脅威がなければ認識されにくいものです。

あるいは、脅威があっても、その脅威がサイバー空間にあったり、宇宙空間にあったり、大陸や海を隔てた場所にあると、それらを臨場感をもってとらえることがむずかしくなります。

冷戦終了後の国際政治は、「みんな仲良くランランラン」モードで進んできたと思われがちですが、実は紛争・軍事トラブルまみれでした。

湾岸戦争イラク戦争同時多発テロ北朝鮮核開発、IS問題、難民問題、中国による海洋支配、ジョージア侵攻、クリミア併合・・・。

たぶん、探せばほかにもあるでしょう。

こうした「脅威」がありながらも、ヨーロッパ諸国は目に見えるような軍拡に走ることはありませんでした。

それは、絶対的軍事大国アメリカの率いるNATOに守られていたからであり、目の前に迫りくるような軍事的脅威にさらされることがすくなかったからです。

しかしいまはどうでしょうか。

ロシアとウクライナの、もはや戦争ともいえる状況。

この戦争は、クリミア併合とかジョージア侵攻のような、国家の一部地域のみを標的とした軽々しいものではない。

すなわち欧州はいま、国家の首都をもターゲットにしているような国家間の戦争の勃発と、その肥大化を目の当たりにしているのです。

南部へルソンが攻略されたことは記憶に新しいですよね。ほかにも、東部スムイ州や南部ミコライフ州をターゲットにした生物・化学兵器をもちいた攻撃も危惧されているようです。ただ、ウクライナは防戦一方ですよね。反撃ができないほど軍事力が弱いのか、あえて反撃しないのか。よくわかりません・・・。

軍事力の規模で上回るロシアは、その気になればウクライナを全滅させることができます。

なぜなら、ウクライナの軍事力は、ロシアのそれに比べれば貧弱だから。。

このウクライナの状況に自らを重ね合わせたのが、ドイツであり、スウェーデンであり、フィンランドなどの欧州諸国でした。

軍拡に慎重だったドイツは、左派政党であるにもかかわらず軍事力の拡大を表明しています。

ソ連自体から顔色が意向を続けてきたフィンランドも、アメリカ海軍のF35Bの導入を決断しました。

自分たちを「すぐに」「確実に」守れるのは、地理的に離れたアメリカではない。

国家防衛の基本は自分たちの底力である。

そう認識するに至ったからこそ、これら欧州諸国は、軍備拡大という英断を下すことができたのです。

国際政治の現実

第二に、絶対的信頼など存在しないという国際政治の現実です。

原則的に国というのは、自分中心です。

自分たちの利益となることには目を向けますが、自分たちが不利益を被ることには背を向けます。

一見すると利他的な行動に見えなくもない「人道支援」みたいなものも、国連のような国際政治の中で政治的リーダーシップを維持しつづけるための手段の一つにすぎません。

国民の税金であれば、国のために使うことがあたりまえのように思われがちです。

けれども、その一部を自分たち以外の国のために使うことが長期的な利益に資すると考えられれば、利他的な支援を行います。

貿易も合同軍事訓練も首脳会談もそうです。

このように考えると、自分中心な国際政治の中で、相手のことを100%信頼するようなことは極めて危険だと思います。

いつだまされるのか、どこに落とし穴があるのか、知ったもんじゃありません。

現に、平和機関であるはずの「安保理」の一端を担うロシアは、どんな真意や目的があるのかはわかりませんが、軍事力という強権的手段を使って戦争を始めました。

平和な状態が永遠に続く保証はどこにもない。

どこかの国が虎視眈々と自分たちのことを狙っていないと言い切ることはできない。

そのためにも、「金」ではなく「価値観」でつながる本当のパートナーと連携しながら、泥にまみれた国際社会をしぶとく生き抜いていく。

そういう底力といいいますか、胆力というのが大事なのかなと思うわけです。

中国とつながりがある国の多くは、中国共産党からの「お金」を目当てにしているにすぎません。金の切れ目が縁の切れ目なのです。お金による縁は簡単に結びやすいですが、いとも簡単に綻びがみえはじめます。一方で、価値観を軸にしてつながりあう国家の連携はいとも崩しがたく、強固です。

安らかに眠る日本

・・・

はて、かつては東アジアの経済的盟主として君臨したものつくり大国・日本。

その日本の周りには、不確定要素しかないような国々がひしめいています。

  1. 南を見れば、軍事基地を自由気ままにつくりつづけている中国がいらっしゃり、
  2. 左を見れば、謎の歴史認識を絶対的正義のように振りかざしたがる韓国がいらっしゃり、
  3. 左上を見れば、誰それ構わずミサイルを放出しつづける糖尿病の指導者率いる北朝鮮がいらっしゃり、
  4. 北を見れば、民間人への殺戮をもいとわない戦争を始めてしまうようなロシアがいらっしゃる。

これほどまでにリスクに囲まれた国というのはさすがに珍しいですよね。

さて、その中で我が国日本は、どのような防衛態度を見せているのでしょうか。

当然、国防軍ぐらい持っている・・・。当然、軍事研究にきちんと予算を投じている・・・。当然、他国からの侵攻に備えた準備を整えている・・・。

つい、このように勘違いしてしまいそうになりますよね。

しかし、現実は全くの裏返しです。

日本には軍隊はないし、軍事技術と結びつくような研究すらも許されず、自国領土である尖閣にすら上陸することができない状態にあります。

それはおそらく、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以降も変わっていません。

自衛隊が「宇宙作戦群」を新たに組織したことは、衛星破壊兵器の使用が危惧される中ロに対する抑止力として考えれば評価できるかもしれませんね

これが、「眠りつづける」日本の正体です。

どうする、日本!

日本から一番近い国は、宗谷岬を挟んで50キロも満たない地点にある国です。

それは、韓国でも台湾でもない。

中国でも北朝鮮でもない。

そう、ロシアです。

ぼくは別に、日本が軍拡をして戦争を始めるべきだとか、そういう野蛮なことを言いたいわけではありません。

「軍拡→戦争開始」というステレオタイプ自体が正しくありません。

ただ単に、脅威の足音がじわりと近づいてきている現実がある。

であるならば、その脅威にたいするしかるべき対処・準備をしておくのが国家の責務なのではないかと感じているだけです。

軍事力の本質は、相手を攻撃することではなく、事前・事後的に自分たちを守ることだと思います。

そしてその守る力が強ければ強いほど、相手の戦意を失わせることができます。

言いかえれば、相手の攻撃などどこ吹く風だと思わせるほどの力をもつことができれば、敵の侵攻を未然に防ぐことができます。

日本が戦争をしないための力をもつことができるのは、はたしていつごろなんでしょうかねえ。

まとめ

ヨーロッパ諸国と日本を比べてみたときに浮かび上がる違い。

再エネ政策で大失敗したドイツでさえ、軍事面では現実を見ている。

エネルギー安全保障を考えて、原発廃炉を先送りしたベルギーという国もある。

日本の外交が「顔色外交」と揶揄されることがありますが、それは国内政治にも言えます。

国民を無視しろとは言いません。

ですが、もうすこし政治的なリーダーシップを発揮できるような、力強い決断と意思で国民を引っ張っていけるような指導者が表れてくれることに期待したいです。

別にぼくは、ヒトラーのような力強さを求めているわけではありません。指導者に必要なのは、国民をまとめる「優しさ」と、国家を引導する「強さ(狡猾さ)」の二つです。後者が足りてないから、後者を求めているだけです。優しさがない人が代表の国は、簡単に分断されますからね。文政権のように。

雑記

なんか政治系の記事を書くとつい熱くなってしまいますよね。

よくない、よくない。

いろいろな考えの人がいると思考では理解していながら、ついつい文章の端々に自分の正しさを押し通してしまうような文言があらわれてしまいます。

悪い癖です。

まあ、ただの無料ブログなので特段気にしてはないのですが、まあ、がんばります。