AKITOの思考ノート

【ブログ引っ越しのお知らせ】はてなブログ⇒WordPress

新規ブログURL:あきとの遊び場

お知らせ

こんにちは、あきとです。

わたくし...ぼくごとではありますけれども、はい、ブログ変えた。

約4年ぶりに、WordPress上でブログを開設いたしました。

ドメインやサーバの契約から始まり(懐かしい!)、CSSなどのカスタマイズ設定を終えた今は、ひたすら過去記事の修正や再投稿に追われております。

決意

とかはないんです。趣味が仕事になると趣味が趣味じゃなくなるので笑。

地道にのんびりコツコツと。マイペースで投稿していきます、Worepress上で。

とりあえず、50年くらいは頑張って続けたいですね。

ありがとうございました!!

はてなブログについて

はてなブログは、このまま存続させるつもりです。

本家ブログの記事を、こちらでも二重投稿するような使い方をしていこうと考えています。

【偏差値20_高2⇒偏差値65_国立大学/現役】へのロードマップ:SAPIXの落ちこぼれによる受験遍歴&泥臭い勉学ストーリー

 

はじめに:「受験」に揉まれて急転直下。ぼくの学業物語

こんにちは、あきとです。

遍歴:SAPIX(ほぼA=ビリクラス)⇒偏差値40中高一貫⇒学年154位/155人中(中2_二学期末)⇒センター模試偏差値20(高2_10月)⇒センター本番85%Finishでギリ耐久(B判定)⇒地方国立大学進学(現役)⇒公務員試験通過(現役)⇒公務員退職(3年目?)⇒今ココ

(各工程につき画像あり)

ぼくの25年間の人生は、振り返ってみれば、常に「勉強」と共にありました。

いや、もっと正確に言うと、「受験の嵐」に苛まれた半生、と言った方がいいかもしれません。

最初は、勉強なんて、我ら子どもたちの首を絞めつける大蛇にしか見えなかった。

「意味なし、意義なし、役目なし」。極めてひねくれた思考をもちあわせていたわけです。

でも今は、心の底から「学びにはコクがある」と思える。

というより、「学び」にとりつかれるようになっている。

今回は、その矮小な個人戦記について、つらつらと語ってみたいと思います

(中二_進研模試

挨拶初めに、1枚の成績表を共有しておきます。

学年ワースト2位の記念すべき帳票です。

この落ちこぼれが、どういう経緯で筑波大学を目指すようになったのか、その一部始終のストーリーを、以下でご覧ください。

全六章立ての「勉学遍歴」、スタートです。

 

 
 

第一章:小2_早すぎる強制収容。SAPIXで安泰のAクラス。

小2で始まった「勾留」生活

ぼくの勉強の歴史は、小学2年生の時、中学受験塾のSAPIXに、まるで「豚バコに収容」されるかのようにして始まりました。

刑事裁判よろしく、「勾留」という漢字が頭をよぎるような、長い「勾留」生活の幕開けです。

SAPIX、御三家を目指すような、いわゆる「知的上流階級」の子たちが集まるエリート軍隊。

SAPIX⇒御三家⇒鉄緑⇒東大、みたいな固定ルートが有名になるほど、偏差値エリートが集う塾、らしいですな。

最大のKPI=親のご機嫌維持日数

ぼくは、その中で全くついていけず、ずっと一番下のAクラス。

...ずっとではないけれど、ほぼ、Aクラス。

そりゃそう。先生と親の掛け声にただ従う日々で、生気も意欲も全くなかった。

親のご機嫌を保つことが、当時の唯一のモチベだったかもしれません笑

右向けといわれたら右向く、左向けといわれたら左向く。

まさに将軍複数(教師、親、世間の目)、軍人1名(我)の、狭小軍隊でした。

授業内容は理解できず、ただ形だけを暗記する日々。

喜びも楽しみもない通塾の日々。

たまにクラスが上がっても、それでもせいぜいCクラス。

小5の時に、奇跡的に一時Gクラスにあがりましたが、その2か月後には再びB。

喜劇から悲劇への急転直下ですな。

まあ、Gクラスに配属されても、当時はクラスの準エリート組に全然ついていけなかったから、逆にビリクラスに戻れて安堵したという思いもありました笑

今思い返すと、SAPIXの演習量には目が飛び出るものがありましたね。処理が追い付かず、ただプリントがぼくの家にインプットされ続けるのみ。そりゃ、授業についていけなくなる。ぼくには脳のキャパシティが足りなかったのでしょうな。やたらと頑張ってたのは、なんか母親だけでした笑

第二章:小6_偏差値40という着地点

SAPIXからの脱皮とテキスト地獄

で、やめたんです、SAPIXを。

ていうか、気づいたら辞めさせられてた笑

なんか周りが勝手に焦り始めて、気づかぬままに塾を変えられていた。

ぼくは意味も分からずに、小6の頃には突如個別指導に移ってました。

気づいたら塾変わってたんで、「いや、この個別塾まじでどこやねん。SAPIXはどうなったんや??」、的な感覚でした。

完全に振り回されているだけ、本人は一番状況を理解できていませんでしたね笑

まあ、塾が変わったとて、特段状況は変わらず。

同じように豚箱に詰め込まれて、メモリーチェックとか予習シリーズみたいな全く興味も関心もないテキストに対峙する日々が続きました。

当時は目的もわからぬまま、馬車馬のように勉強させられていました。

あと、なんか時事問題とかね。

カンタイヘイヨォォパァトナァシップウキョオゥゥテェェェ

とかなんとか、訳わからん言葉を、頭にメリメリと叩き込まれていました。

なんの教育だったのだろうか、あれは笑。

大人の気迫に押されてただけでしたね、ホントにしょうもない。

勝手に決められた謎志望校、よくわからず受験した志望校

で、なんかよく分からないうちに志望校が決まり、まるで運命の定めであるかのように当然のように受験させられ、気づけば偏差値40(当時、今は60弱!)ほどの中高一貫校に入学していました。

まあ正直、当時は合格しても特に無感情でしたね。

アパシーでした。

まあ、強いて言えば、ひとまず「総統(親と塾)への八方美人」を卒業できた!」という喜びはありました。

あるいは、「いよいよ中学受験という鉄の鎖から解放されたか!」という、そういう享楽的な感覚の方が大きかったですね。

余談) 中高一貫校でのの暮らしについて

ただ、この学校の先生方は、授業や部活を含めて面倒見もよく、加えて友人にも恵まれていました。

だから6年間の中高生活は、可もなく不可もなく、それなりに楽しめたのかなと思ってますね。

加えて、男子校だったので、無駄に異性に気を遣う必要もなかった。これが地味にぼくをストレスから解放してくれましたね

※当時のぼくにとっての女性像は、恐怖像に塗り固められていたので。姉と母親が原因かな笑

6年間を通して、男子校らしく無邪気に暮らしてましたな。

トイレのポンプを詰まらせて大洪水を引き起こしたり、隣の建物の屋上にボールペンや鉛筆を投擲したり、教室の壁に激突して中の断熱材を粉砕したりなど、どこの男子もやるような普通のおふざけをして、6年間を過ごしていましたね。

そう考えると、当時は訳も分からぬまま決めた決められた志望校でしたが、まあ、結果論でいえば良い着地だったのかなあと。

そうやって、過去を正当化したい気持ちにやまれるのも致し方ない笑

あ、ぼくは大人の前でいい子を演じるアビリティは偏差値70あったので、こういう裏事情は決して親とか人前で話すことはありませんでした。そのあたりは、きちんと弁えてます笑。大人の機嫌を損ねたら子どもの生存が脅かされますからね、その演じ分けをする程度の知恵はありましたね。

第三章:中学1~2年_学年ワースト2位、高校進学危機へ

スタートダッシュからの、急転直下

さてさて、くだらない話はテキトーに終わらせて、話の舞台は中学時代へと移ります。

時は2012年、中学1年生。

無気力な中学受験を終えたぼくですが、入学当初は意外にもスタートダッシュ効果が功を奏したのか、割と成績は上位3分の1くらい。

...別に良くも悪くもないような、誠につまらん順位を行き来していました。

しかし、その平穏は長くは続かず…。

中1の秋から冬にかけて、ぼくの私生活は徐々に、しかし確実に、反学業思想とゲーム・SNSに侵食されていきました。

そして、ついには絵にかいたような「落ちこぼれ」へと、急転直下していくことになります。

当時はちょうどパズドラがリリースされ、それに重ねる形で、ameba piggやにゃんこ大戦争、ケリ姫、モンスターストライク、グラセフ…と、ひたすらゲームに明け暮れる毎日。そりゃ、結果は目に見えてますな。

中学受験界隈では、「深海魚」という言葉があるそう。難関校に入学した刹那、学業への熱が一気に冷却され、気づけば学年下位軍団の常連と化してしまうような一部の悲劇の中学生たちのことを指すようです。「難関校」という点を除けば、ぼくも深海魚だったかもしれません。受験に熱を注いでいたのは、親だけだったので笑。

進研模試学年ワースト2位と、数学6点の道楽

その自堕落な生活が、残酷な「数字」として突きつけられたのが、中学二年生の時。

ちょうど、その頃の模試の成績表が、なぜか実家に保管されていました。

ここらで共有しておきましょう。

(中二_進研模試

どこでも受けさせるような、進研模試ですな

なお学校のレベルは平均以下です(全国平均/142点、校内平均/112点)。

その中で、ワースト2位ですから、まあ崖っぷちというか、むしろ崖から落ちて何とか山肌の崩れかけの取っ手を掴んでいるような有様でしょうか...。

もう「下には下がいる!」とか言ってられない状況です。

1人しかいないし。

授業とか勉強とか、もはや眼中にありませんでした。

軽く反抗期、というか、ちょいと社会に対して反感を抱いてましたね。

受験やら勉強やら、「おまいら喧しいんじゃ!」って。中学生男子によくあるやつです。

たとえば中2の当時は、男子校が嫌すぎて、アメーバピグTwitterで外部女子との交流を求める始末(JGの優等生とAmebaとリアルで出会えたのはぼくの秘かな想い出です笑)

学校の成績も、もちろん悲惨なもの。特に数学はひどく、テストで6点を獲得。

(中二_二学期末)

当時は、この成績表を受領しても、何の危機感も恐れも抱きませんでした。

「おお、これが廃人の、なれの果ての姿か!」と一人謎の愉悦に浸りつづけていました。

※ちなみに6点の内訳は、チェバの定理とメネラウスの定理で各3点ずつでございます。

これが、SAPIXに5年間通い続けた男児の2年後の姿。誠に哀れで悲惨でございます。

書いてて思いました。家庭内学業教育の核心は、子どもに「勉強をやらされている」という感覚を抱かせないことなのかなあと。

一筋の光:海城高校出身の先生との出会い

さてさて、赤点マシンガン乱れ撃ち。あきと、ピンチっす。

このままでは高校に進学できない、という崖っぷちに立たされました。

まあ別にぼくはよかったのですが、周囲の大人のご機嫌を直すために、とりあえず勉強しようかと、そう思ったんですね。

あ、とりあえず問題集を解くという「形」だけのお勉強ですから、内容に対する理解も納得も欠損してます。

というわけで、そこでまた、親によって塾に「収容」されるわけですが、そこで一つの転機が訪れました。

塾でぼくを担当してくれたのが、脂ぎったおじさんではなくて、海城高校出身だという、爽やかな大学生の先生。

その先生の数学の教え方が、ぼくの知的好奇心を、初めて強く刺激してくれたんです。

「あれ、数学ってゲームっぽくて面白くね。学びって、奥深くね。これ、いいんじゃね」

そう思えた、人生最初の瞬間でした。

このあたりから、ぼくの勉強に対する眼差しに、少々の変化が垣間見えるようになりました。

親に感謝すべき、なのかな。ここは。

第四章:中3~高1_友人に憧れ学年1位への「下剋上」を目指す

「勉強できる。素直にかっこいい」―環境が変えた意識

とはいえ、それだけで成績が急浮上するわけでもなく、なんとか70位くらいに持ち直した程度。

(中三_一学期中間)

全体が160人なので、その平均より少し上くらい。最も中途半端で、面白みがない順位です

公民や理科2(生物系)など、暗記科目は割といい点数だけれど、それ以外はボロボロですな

で、そのままぼくは高校に進学できました。かろうじて首の皮一枚つながりました。 やった。

そして内部進学した直後に、ぼくの学業観に対する過去一番のパラダイムシフト訪れました。

すなわち、「環境」です。「クラスメイト」です。

高校で新しく編成されたクラス(まあ中高一貫で毎年変わるんですけど)。

秀才に憧れた落ちこぼれ。その決意と決行

ぼくの席の周りには、学年2位や5位が当たり前の、いわゆるTOP常連の秀才たちが集っていました。

こりゃ出席番号に感謝しかありませんな。

で、彼らは学年TOPの常連組。

ぼくは彼らに、ピュアな尊敬と憧れを抱くようになりました。

毎度のテストで上位層に食い込みながら、互いに鎬を削る同年代の男子生徒。

ぼくと変わらない年齢なのに、切磋琢磨しながら逞しく刺激し合っている、そんな間柄の男の子たち。

その姿を見て、正直、誉高いものを感じてしまったんです。

「勉強できるって、なんかかっこいいかもしれん。勇ましくて、誇らしいんだ」と。

心から惚れ惚れしちゃいました。

「このTOP層に食い込みたい!」「同じ土俵で学問を語りたい!」。

そう思える人たちに出会うことができました。

同時に、

たった一つの成功法則:粘り強く「完全な暗記」 。妥協なき「徹底暗記」

その日から、ぼくはちょっと考え方を改めることになります。あ、行動も。

ゲームも、SNSも、一旦全部やめて、勉強に打ち込んでみた。

ぼく何かに熱中することは割と得意なので、面白みとか興味さえあれば、日がな一日勉強しまくることには特に抵抗感は感じませんでしたね。勉強もゲームみたいなもんですな。

で、やり方は、極めてシンプルでした。暗記です。

授業の1分1秒に聞き耳を立てる。先生が発言したことを一言一句ノートに書き、それを全部覚える。教科書も、問題集も、隅から隅まで全部覚える。反射的に答えが出るまで徹底暗記する。

ペンが止まらずに気分爽快_暗記戦略でテスト無双

そうしたら、学校の中間・期末テストなんて、覚えた内容ばっかりポンポン出るわけです。

あまり深く理解してなくても、形だけ覚えてれば、なんとか解けちゃうんです。

現にテスト本番では、書く手が止まらず、淀みなく、解答用紙に文字がとめどなく埋められていく。

まさに快感、爽快。鉛筆の動きが止まらない、見直しをしても時間に余裕。

こんなにも清々しい体験は初めてでした。 そして、チャイムが鳴りテストが終了したときの達成感。

心底気持てぃぃですよ、この感覚。

結果、面白いように90点とかを連発し、気づけば、学年で2位とか3位にまで一気に駆け上がっていた。

(高一_二学期末)

高1の4月に勉学に目覚めたぼく。

そこからはぐんぐん学びを深めていき、1年弱で学年140から学年2位に上り詰めました。

当時は、周囲に自慢したい想いに蓋をして、ひたすら冷静を「装って」いましたな笑

 

(高一_3学期課題テスト)

冬休み明けのテストですね。

ぼくのクラスには、中1から学年TOPを独走中の猛者がいたため、ぼくはどう足掻いてもクラス1位にはなれませんでした。

さすがに勝てまい!

 

「あれ、ぼくも努力したら、結構いけるんじゃないか?」

この、人生で初めて掴んだ、地に足が付いた泥臭い「成功体験」。

この体験が、ぼくを大学受験の壮大な目標へと駆り立てていくことになります。

第五章:高2~3_偏差値20⇒65へ、目標の筑波大学へ猛進する

国際政治を探求するべく、文系での大学受験を決意

さてさて、時は高2直前、進路選択の時期となりました。

上記での成功体験と、中3の時の海外修学旅行で芽生えた国際関係への興味から、ぼくは文系コースに進み、外部の大学を受験することを決意することになります。

なお当時は2015~16年。

ちょうどトランプ大統領が登場した時期とも重なり、移民問題に興味を持ち始めたことから、国際政治を学びたいと思うようになったのも契機になりましたね。

※ちなみに、ぼくの中高は大学付属。しかしその大学は「理系単科」なんですよね。だから国際政治を学ぶためには、必然的にエスカレーター外の道に足を踏みだす必要があったのです

井の中の蛙、偏差値20に悲観。全国レベルに打ちのめされる

でも、ここでまた壁にぶち当たります。

学校のテストでトップクラスの成績を取っても、東進やベネッセ、駿台といった全国模試では、全く歯が立たないという現実です。

たとえば、高2の当時は、すべての学内テストで1位を守り続けていました。元学年ワースト2でも、努力すりゃ下剋上はいくらでもできる、ペーパーテストの偉大さと公平さを噛みしめていた時期でした。

(高2の学年末評定)

高2の最終評定表です。

体育以外は5段階評定の5を獲得。

1学期から3学期を通じて常に学年1位を死守することができました。

しかし...。

しかしながら、ぼくが見ている世界は、あまりにも狭すぎた。

ぼくは完全に土俵を見間違えていた、いや、「受験」を「記憶力テスト」とはき違えていたのです。

たとえば、東進で受けたセンター模試。

時は受験本番1年前の12月.。

偏差値40くらいは出てほしい、と思いながら受験したこの模試の結果は、

(高2の12月_センター模試)

  • 国立型:19.0
  • 私立型:26.6

高2の春あたりに入塾して、それなりに勉学を重ねていたぼく。

しかし相手が全国では歯が立たず...。

偏差値20の成績表。中二時代へ逆戻り...?

..沈黙。唖然。瞑目。消沈。昇天。

当時は数学なんて時間云々の前に、まず解けなかった。

国語も、和歌やら漢詩やら、読解不可能だった。

※あと、偏差値って25以下もあるんだっていう新発見。15なんて初めて見ましたな笑

総括すると、「這いつくばる底辺」。はい。

そこで実感したのが、学校のテストは、所詮、限られた範囲からの出題だということ。

本当の実力とは違うということ。形だけ知っているだけでは太刀打ちできないということ。

ここでぼくは、受験の厳しさを初めて知りました。恐ろしさを身をもって体感しました。

とんでもない魔境に足を踏み入れたんだなあと、少し身震いすることも。

まさに、井の中の蛙でした。

そういえば中二でも、似たような偏差値をとっていましたね笑。

ただ、同じ偏差値20でも、中二と時と違うポイントがある。それは「思考」。20という数値に対する「悔しさ」があったこと。勉学に対する「前のめり」な姿勢があったこと。

つまりマインドが決定的に違っていました。

自惚れもなく慢心もなく...。泥臭く、這いつくばる。

そこからは、地道に泥臭い努力を日々積み重ねるような、そういう味気ない日々が続くことになります。

ただ、勉強自体は楽しかったので、不思議と「嫌」に思うことはありませんでした。

Study plusで記録していた当時の勉強ログです。

これはセンター2週間前ですね。

正月は、初詣の帰りに、東進に突撃した覚えがあります。

まあ受験生なら、正月でもそういう行動になりますよね。

10周、20周とやりこみ、チューターの先生の話に素直に耳を傾けながら、無我夢中で勉強に励んだ。 たとえば、

  • 青チャートは単元ごとに切り離して電車でもどこでも解法暗記に徹するとか(『受験は要領』を参考)
  • 英語の長文講義(今井先生!)を受けたら最低20回は音読するとか
  • 世界史は暗記ペンでマーカーを引きまくり教科書全ページをを丸暗記する覚悟で勉強に臨むとか
  • 英作文は学校の先生にメールで添削を依頼しながら力をつけるとか

そういう、まあ言われてみれば当たり前のことだらけですが、淡々と確実に積み重ねていきました。

(参考書一部紹介)

1対1対対応の演習は、受験勉強を通じて、一番のお気に入りの参考書となりました。

ていうか、なんでこんな画像が残ってたんだろ笑

幸いぼくは、「自分は地頭が悪い」と自負していたので、自惚れにも慢心にも陥らずに、1問1問を着実に血肉に溶け込ませるような前進を続けることができましたね。

そりゃ地頭悪いです。5年間もSAPIXに通った結果が偏差値40、実力テストの模擬試験で偏差値20。「泥臭さ」と「根性」で差をつけるしか、ぼくに残された選択肢はありませんでしたね。

理想的なフィニッシュ、そしてキャンパスへ

ではぼくの直前期の成績はどうだったのか、そこだけ簡単に触れておきましょう。

高2の冬で5教科7科目の偏差値が20だったぼく。

英語が40、数学が30だった底辺。

それでも直前の12月の模試では、なんとかD判定までもっていき、本番の1月14日/15日は約83%でB判定フィニッシュ。

(画像解説)

下記センター試験の得点表は、大学センター側に情報公開請求を掛けて開示していただいた資料になります。

科目コードとかで管理されているようですな。

(センター本番_2017年1月)

大嫌いな古文で謎の満点。

理科及び社会も平均9割。

と思いきや...。

数学と英語に殴り倒されました。

はい、実力不足です。

ミス量産したけれど、それは言い訳。実力が及ばなかっただけ。

しかし!

その憂さ晴らしとして、国立二次試験は、英語と数学で無双してやりました。リベンジ成功!(後ほど詳説)

 

こうして、打倒国立の1次ラウンド(センター試験、現共通テスト)を、何とか潜り抜けることができたのです。

二次テストは、受験の中でぼくの探求心を刺激し続けた「数学」と「英語」の二科目で勝負。センターでの雪辱を果たすべく、最低でも8割を狙う覚悟でした。

(画像挿入予定!現在筑波大に情報開示請求をしています笑)

見事筑波大の壁を打ち破り、晴れて広大で牧歌的な筑波キャンパスでの学びに打ち込める権利を手に入れたわけです。

というのが、ぼくの大学入学までの振り返りと、ちょっとした自慢のストーリーとなります笑

第六章:大学生_好奇心の奴隷、労働忌避、そしてその先へ

知の探究に勤しんだ最初の2年間

舞台は自由の学び場、大学生活へと移ります。

筑波は他学群の授業も基本受け放題です。

最初の1~2年は、線形代数とか放射線、進化ゲーム論など、自分の学群(国際総合)に無関係の授業も取りながら、「好奇心の開拓プロジェクト」に勤しみました。

まさに、好奇心の奴隷と化していました。

落合陽一先生の授業も受けられました。

内容は、全然覚えてないです笑い

時にはPC室(サテライト室)で同志と夜を明かしながらテスト勉強したり、友達の家に泊まって夜通し学歴談義とか恋バナとかしたり、学園祭実行委員会でちょっぴり恋愛したり。

当時のスケジュールです。

興味深い授業が多いため、かなり授業を詰め込んでいた覚えがあったのですが、今見返すと割と空きコマが多いですね笑

興味を全方位に拡散させるような、そんなキャンパスライフを送っていました。楽しかった!

探求と議論で熟した国際政治と移民問題

さて、ラスト2年は、じっくり腰を据えて、本丸の移民問題を探求する学生生活。

誠に伸びやかな学問生活を送ることができましたね。

論文をあさり、文献を読み込み、ゼミで教授と議論する。

フィードバックに基づき、新たな先行論文を開拓し、自分の意見をまとめ、再度ゼミで報告する。

今思うと、本当に贅沢な時間を過ごすことができたなあと、親と自分に感謝しかありません。

当時は、例の変異大好きRNAが日常をハイジャックしていた時代。

ただ、授業は1~2年で取り終わっていましたし、大学3年以降は、当初からゼミと公務員試験に捧げるつもりだったので、個人的なダメージはあまり大きくありませんでしたね。

とは言いつつ、もちろん感じてはいましたよ、同志や教授と会えない寂しさは。

労働者という現実を直視。

時は大学3~4年生。

学びは好きになったけれど、働くこと自体にはあまり興味がなかった、無責任なぼく。

そんな彼は、穏やかに働けそうな公務員を目指すことにしました。

ここで三度登場、「お受験」。

結果、まあ、無事に通過。

まあ、公務員試験って、薄っぺらい知識を15科目くらい頭に入れればいいだけなので、正直あまり達成感はありませんでしたね笑。

なんのアピールにもなりませんな。

おわりに:「逃避」から「誇り」へ

勉学遍歴の振り返り

ふう。ぼくの怒涛の受験人生、つまり、「SAPIXに5年在籍しても偏差値40の中高一貫校にしか行けなかったぼくが、いかにして中学でワースト2位の落ちこぼれとなり、そこから8回連続学年1位獲得+国立大現役進学への野望を果たしたのかの軌跡」を長々と書き連ねてきました。

要約すると、こんな感じ。

遍歴:SAPIX(ほぼA=ビリクラス)⇒偏差値40中高一貫⇒学年154位/155人中(中2_二学期末)⇒センター模試偏差値20(高2_10月)⇒センター本番85%Finishでギリ耐久⇒地方国立大学進学(現役)⇒公務員試験通過(現役)⇒公務員退職(3年目?)⇒今ココ

「わからない」は「辛い」。だから「逃げたい」

こうして振り返ると、ぼくは最初から勉強が嫌いだったわけじゃない。ってことに気づかされました。

むしろ、「分からない。できない。授業についていけない。どんどん周りに置いていかれてしまう」。

これが途方もなく辛くて、苦しくて、不安で、孤独で、どうしようもなくて、手がつけられなかっただけ。

自己嫌悪に陥っていたのかもしれません。

環境が人を作る。

でも、高校での「環境の変化」が、秀才たちへの「憧れ」を生み、それが「野心的な学習意欲」に繋がり、「成功体験」を得させてくれた。そして、その成功体験が、揺るぎない「誇り」になった。

18歳という若武者の状態で、「誇り」というプライスレスな価値を手に入れられたことに、ちょっぴり喜びを感じていた、そんな当時のことを思い出しながら、この記事を書いておりました笑。

今後は、こういう学業とか学歴に関する記事を、バンバン書いていきたいなと思ってます。

よろしくどうぞです。

あ、ちなみに今25歳です、こんにちは、こんばんわ。

勉強というか、学歴って、個人個人の生々しい感情とか戦略で形作られる個人戦記みたいなものじゃないですか。若武者による血生臭い戦場なんですよね。それを深堀していくと、その人が歩んできた葛藤とか屈辱、栄光、挫折、誇り、絶望が垣間見える気がして、その人生の生々しい歴史に心が奪われちゃう。だからこういうストーリーって、ぼくの心にしみわたるんですよね。

暇。あ、万博行こ。思い付きで重い腰を上げた大阪夢洲への日帰り遠足

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はじめに:土曜の夕方、ぼくは新幹線を予約した

こんにちは、あきとです。

先週の日曜日、ぼくは大阪万博の会場にいました。

前日の土曜日に、「万博、なんとなく気になるな…あ、明日休みじゃん。行けるか?」

そんな軽いノリでえきねっとを操作し、気づけば始発に近い新幹線を予約していました。

万博への秘かな憧れと決行

 

正直、数ヶ月前まで、ぼくは万博に大して興味がなかったんです。

別に盛り上がりを蔑んでいたわけでありません。

単純に関心がありませんでした。グアテマラに行こうと思わないのと同じ感覚ですね笑

でも、心のどこかで「この歴史的なお祭りに行かないでいいのか。しかも自国開催じゃん...。」とも思っていた。

100か国以上が自文化を熱烈に訴求する夢のステージ、それが我が母国で55年ぶりに開催される。

え、行きたくね、行ってみたくね、行ってみた方がいいんじゃね、行くべきなんじゃね、あ、行っちゃお。

こうして、ぼくの中の小さな火種が、ふとした瞬間に燃え上がったわけです。

今回は、そんな突発的な日帰り旅行で、ぼくが五感で感じ得たもの、その記録を赤裸々に綴りたいと思います。

当日の弾丸タイムスケジュール(備忘録)

 

最初に一日のタイムラインを共有しておきます。

我ながら、なかなかの弾丸スケジュールだったな、と振り返って思います。参考までに、当日の大まかな動きはこんな感じでした。

  • (前日17時ごろ):予約(新幹線往復+万博10時入場チケット)
  • 4時半:起床(まだ空は真っ暗…ではないけど、ごく淡い青みがかった白い空で、少し情緒的な気分になりました笑)
  • 5時半:最寄り駅の始発付近で出発
  • 6時半過ぎ:東京駅から新幹線に乗り、新大阪へ
  • 8時50分頃:新大阪駅に到着、大阪メトロを乗り継ぎ万博会場へ
  • 9時40分頃:会場最寄りの夢洲(ゆめしま)駅に到着
  • 10時20分頃:長い待機列を経て、ついに万博会場へ入場(フジロックの会場来ちゃった?レベルの密度でしたね。でも時間ごとに入場制限かけてるから身動き取れないほどではないですね
  • 16時頃:お土産を買い、会場を後にする
  • 17時頃:新大阪駅から新幹線に乗り、東京へ
  • 20時頃:無事に帰宅

翌日月曜日は、普通に7時に起きて出社しました。

若さなのか、あるいは好奇心の充足がエネルギーの充足に繋がったのか…。

人間割と何とかなるもんですね。

今回巡ったパビリオン一覧

 

今回、ぼくが実際に訪れることができたパビリオンは、以下の通りです。

こうして見ると、無計画で参上した割には、結構回ったな…!と、ちょっと自分を褒めてあげたい気持ちです笑。まあ、目玉(と勝手にいわれている)のパビリオンは総じては入れなかったですね

青写真も何も持たずに突撃したため、そもそも「人気パビリオン」とか「見どころ」すらも知らなかった。

それが逆に、ぼくを純粋な心で万博を楽しませてくれたのかもしれません。

発見①:「数で勝負」戦略。パビリオンを振り返り

KPIは文化数。長蛇の列を避け、出会いを最大化する

まず、ぼくの万博攻略の基本戦略は、「数で勝負する!!」でした。

先も述べたように、アメリカ館やイタリア館のような、視界に入れるだけで脳が疲弊するほどの列をなしている人気パビリオンは、潔く諦める。

その時間があれば、待ち時間が短い他のパビリオンを3つは回れる。そう考えたんです。

ちなみに、お昼を過ぎた13時、14時頃になると、会場はどこもかしこも長蛇の列。

 

「長蛇の列に滂沱の涙」っす。

もう、人の列を見ているだけで疲れてしまう。

朝早く来て、午前中に勝負をかけておいて本当に良かった、と思いましたね。

イギリス館に学ぶ「遊び心」と「没入感」

 

数で勝負した中で、一番印象的だったのが「イギリス館」。

待ち時間は1時間ほどでしたが、その価値は十分にありました。

ピックスという愛嬌あふれるキャラクターと一緒に、テクノロジの過去・現在・未来を旅する没入型の知的アトラクション。

途中にはゲーム要素もあって、世界観はまるで積み木の世界。

ハリウッドスタジオにあるトイストーリーランドのアンディの積み木の部屋を彷彿とさせるような、そんな遊び心に満ちていました。

 

小難しいドキュメンタリーや、文字だらけの展示じゃなくて、こういうアニメーション的な「見せ方」をされると、やっぱりとっつきやすいし、自然と頭に入ってくる。人の心に残る伝え方って、こういうことなんだな、と。

スペイン・ポルトガル館で知る「歴史のコネクション」

 

他にも、スペイン館では、伊達政宗徳川家康の時代に、日本の海女さんたちがスペインの遭難船を助けたことから交流が始まった、なんていう日本との意外な繋がりを知ることができました

ポルトガル館では、クリスティアーノ・ロナウドの展示を期待していたら(笑)、全然なくて、代わりに豊かな海の自然がテーマ

 

でも、それも「なるほど、ポルトガル大航海時代の先陣を切った国だもんな。世界探検の筆頭国だもんな。ヴァスコ・ダ・ガマ擁する探検国家だもんな。そりゃ、海洋国家だわ」と。

歴史の文脈と繋がって、国家の性格や個性が垣間見えて面白かったですね。

ただ国を見るんじゃなくて、展示という「実物」を通して、自国との具体的な「コネクション」に気づく。これも万博の醍醐味です。

歴史とか勉強してないと、国家の背景を深堀する展示を楽しめる余地も狭まってしまうんですよね。悲しいというか、哀れというか。勉強させてくれた日本と親に感謝ですな。

中東ワールド:待ち時間10分程度。お得!

カタールアラブ首長国連邦は、単に空いてたので待ち時間5分程度で乗り込みました

たぶん、この画像はカタールの会場で撮影したものですね。

 

自然と人工。「茫漠たる砂漠」と「ブランド化された都市スペクタクル」。

その対比を存分に満喫できるパビリオンでした。

で。これはたぶん。UAE?「大地から天空へ」は、おそらくUAEのコンセプトだった気がします。

 

いろいろ写真を撮っていたのですけれども、今見返すと、どの写真がどの国のパビリオンのものか、いまいち判然とせず笑

パビリオン!じゃないけれど、突然噴出した霧

 

空いている穴場のパビリオンを探しながら、会場内を無為に歩き回っていたぼく。

そのとき、突如その周りが霧に包まれました。

そういうパフォーマンスがあるらしく、一定の楕円形内のスペースで、突如として霧で満たされるわけです。

子どもは大はしゃぎ、ぼくも大はしゃぎ。みんな大はしゃぎ。

です。

発見②:「フットワークの軽さ」で抑圧を撤廃

「思いつき」から24時間以内の実行へ

今回の旅で一番大きかった発見は、もしかしたらこれかもしれません。

「思いついたら、すぐ動く」ことの、陶酔感と、それがもたらす心の解放感です。

縮こまるより、飛び出す方がよっぽど楽しい

ぼくは、「心の悩みって、自分の本能や欲求を、自分で押し殺すことで生まれる『圧縮』の密度が高いほど、強くなるんじゃないか」と考えています。常日頃ね。

今回、「万博行きたいかも」という小さな欲求が生まれた瞬間に、それに従ってすぐ行動した。

そうしたら、悩む暇なんてなかった。ただただ、天真爛漫に、コスパとか考えずに、無邪気にその場を楽しめた。

成田さんが「意味不明な勇気」と仰るように、「よしゃ、いっちょやってみっか」の心構えが大切なんだなあと痛感しましたぜ。

自分の「固定観念」を打破した体験

 

そして、もう一つ。

「日曜に大阪まで日帰り遠足したら、20時ごろ帰宅したら、翌日月曜の仕事はボロボロだろうな…」っていう、自分の中の勝手な固定観念。疲れすぎて会社に行けないんだろうな、という先入観。

これも、見事に破壊されました。

月曜の朝、普通に7時に起きて、普通に出社して、普通に仕事ができた。

むしろ、エネルギーが充填されて、いつもよりエネルギッシュに動けたかもしれない。

「労働日の前日は休まなきゃ」みたいな、自分で自分を縛っていたルールって、意外と大したことないんだな、と。

「土日は動かず休むべき」という先入観が、見事に粉砕された体験でしたね。

地中を貫くバンカーバスターで打ち抜かれたかの如く、ぼくの先入観はぐちゃぐちゃです。

発見③:次なる目標という「唯一無二のお土産」

万博で、次の旅先を見つける

 

今回も、いろいろとお土産を購入しました。

お菓子とか、スナックとか、クッキーとか。...お菓子。

そうそう、あとは、ちょうど父の日のタイミングだったので、スペイン館でスペイン地産のビールを買いました。父親の感想は「日本と大して変わらん」というもの。!!!!親父らしくて、良き。

ただ、一番価値のある「お土産」は、実はモノではありませんでした。

それは、「旅の目標」です。

すなわち、「イングランドでのアンフィールドでのサッカー観戦」です。

イギリス間の展示エリアに飾られていた、アンフィールドの写真。

100年近い歴史を持つスタジアム。その聖地で、フットボールの最高峰を、いつかこの目で見てみたい。

去年は、最高峰の演劇を、本場ブロードウェイで鑑賞できたので、次は最高峰のフットボールを本場イングランドで鑑賞したいですな!

旅が、次の旅を生む

万博という一つの旅が、次の「アンフィールドへ行く」という、新しい旅の目的を生んでくれた。

これって、極めて生産的な連鎖反応ですよね。

具体的な目標ができたことで、また日々の仕事や勉強にも張り合いが出る。

これが、今回ぼくが持ち帰った、一番のお土産です。

満たすべくは「食欲」よりも「好奇心」:ぼくが万博でご飯を食べなかったワケ

レポートを読んで、「こいつ、朝から晩まで何にも食べてなくない?」って思った方もいるかもしれません。はい、その通りです。

去年のフロリダディズニー旅行でも、何も食べずに夜のファンタズミック!Showまで歩き続けたため、その情景が頭をよぎりました笑。

というのも、会場にいる間、「お腹すいた」っていう食欲よりも、「一つでも多くのパビリオンを見たい!」「この未知の空間をもっと体験したい!」っていう好奇心の方が、圧倒的に勝っちゃってたんですよね。

食事に時間を使うのが、もったいなく感じてしまった。

空いた腹はいつでも満たせるけれど、万博に対する好奇心は今しか満たせない。

だから、お昼も食べずに歩き回り、その分、たくさんのパビリオンを巡ることができました。

(補足)アメリカ館・イタリア館を諦めた理由

列半端ないって、まだまだまだまだ列あるやん、言っといてや、並ぶんやったら

ところで、「なんでアメリカ館とかイタリア館に行かなかったの?」って話なんですけど、これは「数で勝負する」という作戦の裏に、もっと現実的な理由がありました。

それは、そもそも「予約してないと門前払い」だったからです(笑)。

超人気パビリオンは、当日フラッと行っても入れないシステムになっていることが多くて。

3時間並ぶ以前に、その列にすら並べない可能性がある。

それを知った時、「なるほど、万博は万人に開かれているわけじゃないんだな」と。

であれば、入れないかもしれない場所に固執するより、確実に入れて、一つでも多くの国の文化に触れられる方を選ぼう、と。

いや、入りたかったけどね笑。ここは素直に言いますよ。

やはり資源利用者の「選別」は大事だなと痛感しました。共有地の悲劇のように、共有資源を無制限に開放していたら共有資源がゼロになりますからね笑。こういう社会学的な分析も楽しい

おわりに:衝動的な旅のすすめ

結局のところ、今回の万博旅行は、展示物そのものに魅了されたことはもちろん、

  • 「よしゃ、いっちょやってみっか」:突発的に思いついた計画を衝動的に実行する躍動感
  • 「でえじょうぶだ、なんとかなっさ多分」:固定観念にメスを入れてみる。壊れても壊れなくても、なんだかんだ生きてるから大丈夫
  • 「おら、わくわくしてきたぞ」:未知のイベントに抱く胸の高鳴り

みたいに、悟空のように、フットワーク軽く人生を開拓する喜びを再発見できた日帰り遠足となりました。

…まあ、ぼくが生きてる世界は悲しきかな、嬉しきかな、マネーゲームの資本主義社会。

だからまずは、コツコツ働いて(ホップ)、遊ぶための地盤(懐)を固めて(ステップ)、余裕ができたら世界の地平を切り開く(ジャンプ)。

そんな、ホップ⇒ステップ⇒ジャンプの生き方は忘れずに、2年以内にはイギリスへ飛び立とうと思いました。

おしまい!

(せっかくなのでガンダムでお別れ)

・・・せっかくなのでガンダムの画像をおすそ分けします。

なんか、デカレンジャーのデカベースがロボに変形した姿に似てなくもない笑。

天に拳を突き上げる勇ましい姿ですな。ガンダムには全然興味ないけど、わが日本の誇りです。

 

アメーバピグという陰キャの隠れ家を振り返る。今は懐かしピグ恋愛もちょっと話してみたり...

ダイジェスト:~通っていた学び舎よりも、格段に恋と興味と友情とをそそられていた空間、それがアメーバピグでした

 

はじめに:ぼくの「デジタルな青春」

こんにちは、あきとです。

今回の「嗜好マップ」で語るのは、ぼくのアイデンティティをつくりあげたと訴えても過言ではないといえるゲーム、「アメーバピグ」です。

2010~2015年ごろ、つまり小学5年から中3年における、ぼくの生活における青春劇場が、このアバターゲームに集約されていました

それは、ぼくの「デジタル上の青春」そのものであり、現実世界と繋がるための大切な「緩衝材」であり、そして何より、初恋の相手と出会った場所でもあります。

なぜ、当時のぼくは、あの2D(アイソメトリックビュー)の仮想空間にそこまで没入できたのか。

その理由を、当時の思い出とともに振り返ってみたいと思います。

なおアメーバピグメタバースではないですね。小難しく言うと、メタバースは、「ユーザーがアバターを通じて参加する」「経済活動や社会活動、娯楽活動などを行うことができる「永続的で共有された3次元の仮想空間」という3つの条件があるようで。合致するのは、せいぜい1つ目ですかね。2つ目は6割くらいあてはまる的な。感じかな。

アバターを介した、もう一つのコミュニケーション

なぜアメーバピグだったのか?

アメーバピグは、自分好みに創作したアバターを通じて、仮想空間内の実在/オリジナルエリアを旅したり、ピグ友と交流したりするアバターコミュニケーションサービスです。

まあ、仮想空間を流動するゲームっすね笑

カジノやポーカーといったゲーム要素もありましたが、ぼくが惹かれたのは、何よりそのコミュニケーションの自由さでした。

2010年~2011年頃、ぼくが始めた当時は、まだLINEもそこまで普及しておらず、コミュニケーションはテキストベースが主流。

でも、単なるテキストチャットって、どうしても淡白になりがちですよね。

その点、アメーバピグは、自分の分身であるアバターを動かし、アクションを交えながら対話ができる。

まさに、相手がそこに「いる」かのような、視覚的な納得感があったんです。

この「同じ時間、同じ場所を一緒に共有している」という「共在感覚」が、他のSNSにはない、強い没入感を生み出していたんだと思います。

現実のしがらみから解放される自由

そして、この仮想空間には、現実世界のような「しがらみ」がありません。

物理的な姿形から判断されたり、遠慮したり、過剰に気を遣ったりする必要がない。

アバターという一枚のフィルターを介すことで、普段はなかなか出せない、素直な自分でいられた。

この「自由奔放なコミュニケーション」が、当時のぼくにとっては、非常に大きな魅力だったんです。

「嵐好き集まれ!」から始まった、初恋の物語

仮想空間での出会い

当時、ぼくが通っていた中学は男子校で、周りは男ばかり。

文化祭や塾で女子と自然に出会う、なんていうのは、内気なぼくにとってはなかなか難易度が高いミッションでした。

かといって、テキストだけのやり取りから、いきなり現実で会う、というのも、そのギャップが大きすぎて怖い。

その中間地点=「緩衝材」として、アメーバピグは最高の場所でした。

ぼくは当時好きだった嵐やドラゴンボール、OneDirectionをテーマにした「部活(コミュニティ)」を主宰して、似通った嗜好をもつコミュニティメンバを募集していました。

「中学・高校生で嵐好き、集まれ!」みたいな感じでね。

そこで、共通の話題で盛り上がった一人の女子がいました。

歌のプロフェッショナルな面と、バラエティでの無邪気な面の二面性がいいよね、とか、中学受験時代の苦悩とか、色々な話で共感し合って。

そう笑。それが、ぼくの初恋の相手です。

ネット問題を乗り越え、いざ現実世界へ

もちろん、ネット上の出会いには「ネカマ」(ネット上のオカマ。男性が女性を偽ること)という問題がつきもの。それは当時から知っていたので、ぼくは慎重でした。

Twitterは小3から手を出していたので、その辺の事情には神経が過敏に反応する機微がつくられていたのかもしれません笑。

まずアメーバピグで出会い、次にTwitterに誘導し、過去のツイートや自己紹介、ピグ上でのやり取りにかんがみて、「うん、この子は確かにXX歳くらいの女性だな」と確認する(今思うと、ちょっと危ない橋を渡っていたかもですが笑)。

そして、お互いにアキバが好きだということもあり、「じゃあ、次の週末に会ってみようか」「学校帰りマックでも行こうぜ」という流れになったんです。同年代だから、割と気軽に話をまとめることもできましたね。

ぼくにとっては、小学生の頃から通っていた慣れ親しんだ街(アキバのヨドバシが大好き)での、初めての特別な待ち合わせでした。

遊びの延長線上にあった、淡い時間

別に恋とか愛に発展したわけではない、と思ってます。

アイキャッチ詐欺で申し訳ないです笑

付き合ってほしい、とは言った覚えはないし、互いに一緒の時間を楽しんでるだけだったので。

玉虫色ですみません笑

2人で楽しんだことといえば、カラオケに行ったり、ドラえもん映画見たり、相手の家にお邪魔して一緒にピグで遊んだり。

学校帰りにマックで待ち合わせして勉強教え合ったり(ぼくは常に生徒の立場でした笑)。

もちろん、まあそういう時期の男女ですから、思春期らしい淡い時間もありましたな。

(もちろん、際どいことは何もなかったです。そういうのではなかったんで笑)

(余談)家出少女、じゃなかった

一つ怪訝に思っていた点が、学校帰りに会うのに、彼女がいつも私服だったこと。

3回目に会ったときに、気になって聞いてみたんですね、「全然制服着ないじゃん」って。

ぼくは心の中で、「もしかして、中学生って偽ってる…?」なんて訝ったりもしていた。

ただ、よくよく話を聞いてみたら、彼女が通っていたのが、制服がない超進学校の女子中学校だった、というオチ(笑)。

そういう発見も、面白かったですね。

「制服があるけど着たくない」とかいう不良ではなく、そもそも「ない」という発想。

視野の狭さと世界の広さを如実に痛感した瞬間でしたね。

あのときのことは今でも思い出せます笑

自然消滅、そして「デジタルの故郷」へ

関係のフェードアウト

彼女との関係は、気づけば終わってましたね。

「別れよう」という明確な言葉があったわけじゃなく、本当に自然消滅でした。

理由としては、主に2つあるかなあと。

第一が、話題消滅と興味消失。

ぼくが彼女と会うのは、週一か二週に一回くらいで、話すトピックも嵐かアメーバピグが中心。

10回くらい会えば、それなりに話題も尽きるから、会うことに対する胸の高揚感も抱きづらくなっていたのかなあと思います。

今もそうですけど、ぼくって基本、人に対して著しく飽きやすい体質ですしね笑

学問への目覚め

第二が、学問覚醒。

そんな中で、ぼくの人生に大きな転機が訪れます。中学3年生の時の、海外(U.S.)への修学旅行です。

そこで異文化の雰囲気や、本能に動かされるU.S.民の晴れやかで清々しい国民性に触れて、「もっとこの国の事を勉強したい!」という強烈な意欲が湧いたぼくは、帰国後、文字通り学びに明け暮れるようになりました。

特に英語。中3で英検5級落ちたのは内緒、というより誇りだけど笑

高2という少し遅い時期に英検2級をとれたので、まあ、いいでしょう...!

その結果、興味の対象が、彼女やアメーバピグTwitterから、「学び」そのものへと移っていった。

そうして、自然と距離が空き、気づけば会わなくなっていた…。

それが、ぼくの初恋の結末です。

彼女が今、何をしているのか、時々ふと考えたりもします。

学校名も実力も、疑う余地がないほどの秀才でしたから、どこかの機関でベスト&ブライテストとして辣腕をふるっているのかもしれませんな笑 

おわりに:アメーバピグがくれたもの

今振り返ると、アメーバピグは、ぼくにとって本当に「青春」そのものでした。

懸命に、前のめりに、没頭して取り組めた、時限的なプロジェクトのようでした。

「デジタルの故郷」であり、「本心の合わせ鏡」のような存在でもありました。

人とのコミュニケーションにおいて、素直な自分を見せるのが怖かった当時のぼくにとって、アバターという緩衝材を介して、自然体でいられる世界。

そこで、趣味を通じて人と繋がり、現実世界で会うためのハードルを下げてくれた。

アメーバピグがなければ、初恋の経験も、もしかしたらなかったかもしれない。

そう考えると、あの仮想空間での出会いや交流は、ぼくの思春期を形作った、かけがえのない体験だったんだな、と改めて思うのです。

だから、ありがとうございます。AdobeFlashPlayer様,そしてサイバーエージェント様。

注:AdobeFlashPlayer⇒AmebaPiggが動いていた技術基盤
注:サイバーエージェント⇒AbemaPiggの生みの親。おっきい企業

なお、ぼくがAmebaTwitter⇒リアル世界というフローで出会っていた対象は、別に同年代の女性だけじゃなかったですね。年上のお兄ちゃん的な大学生と会ったり、1個下の子とあったり。出会いという点に限れば、通っていた学び舎よりも、格段に恋と興味と友情とをそそられていた空間、それがアメーバピグでしたね。」

【U.S.旅:PART9】WDW観光後編:ソロで気ままなDisney Tour!!! マペット3D/スターウォーズ/ファンタズミック! etc...

 

こんにちは、あきとです。

今回の記事は前回の続き。WDW観光の後半編です。

WDW観光の前編記事は以下よりご覧ください!

akito-library.hatenablog.com

後半戦のメインは、「StarWarsエリア」とナイトショーの「Fantasmic!」。ソロでも大胆にWDWを遊び尽くします!

さっそく、トイストーリーエリアの続きからです。

⑤Muppet*Vision 3D

後半戦の幕開けは、マペットの3Dショーです。

マペットに登場するキャラクターが3Dで画面越しに語り掛けてくる非常にユニークな映像体験です。会場内は撮影禁止でした...。

会話は「英語」で速度は「高速」。ブロードウェイと同じで、ほとんど聞き取れませんでしたが、映像とキャラクターの表情で、なんとか会話の雰囲気に追従することはできました。

...まあ、あの、これは、子ども向けです笑。24の男がソロで乗り込むほどではないかなと...いや、別に、後悔はしてないです。観客も大笑いで、終始盛り上がるショーでしたから。雰囲気負けして疲れた脳を癒す安息地として有意義に過ごすことができました

⑥Rise of the Resistance (in StarWars)

次はHollywood Studioの本丸、Star Warsエリアの「Rise of the Resistance」。

宇宙船に4~5人で乗り込み、Star Warsの世界をモデルにした宇宙を駆け巡る体験型アトラクションです。

敵艦との戦闘、敵兵(ストームトルーパー)からの防衛、惑星への着陸、宇宙船の発進など、映画の世界観を見事に再現した緻密な仕掛けが盛りだくさん。

ぼくは、StarWarsを見たことはありませんが、予備知識がなくともNo Problem。

ディズニーの技術力と職人技で、「まるで自分が宇宙戦争に参戦している」、そんな錯覚を覚えてしまうほどに、SFの世界観に埋没できるからです。

ちなみに、搭乗時間は10分弱ですが、その下準備として、精密に再現された宇宙船を歩き回れる時間も用意されています。たとえば、ストームトルーパーが幾対も並ぶエリア、精密技巧な機器で構築された宇宙船など、おそらくファンなら感激で腰を抜かしてしまう仕掛けが所せましです笑。

「あれ、これもう本編始まってる?」と勘違いしてしまう人も多くいるそうで、ぼくもその一人。下準備も合計すれば、約20分弱を、StarWarsの船内で過ごせると思います。

「Rise of the Resistance」は、Hollywood Studio内では人気の乗り物で、普段は少なくとも1時間待ちが相場。しかし今回はタイミングが味方して、待ち時間は20分程度。もちろんソロですから、他の家族連れの方と同乗です笑。...すいません。

Tower of Terror(タワー・オブ・テラー

前列右側の男性にオレンジを被せ忘れてしまいました。一から編集が面倒なのでそのまま掲載しています。ごめんなさい。ちなみに、顔文字がぼくです!

広い園内を歩き続けてすでに7時間が経過しました。時刻は午後5時過ぎです。

正直眠いし帰りたい...ですけど、ショーを見ずには帰れまてん!!

ショーの開始は夜8時。

おそろしく時間があるので、時間つぶしのためのに、適当なアトラクションを探していたところ、あのタワテラの待ち時間がなんと5分。

時間つぶしに渡りに船。早速、本日二回目のタワテラへ向かいます。

ご覧のとおり、午前中は、人で埋め尽くされた通路も、この時間は閑散状態。スキップ気分で、がら空きの通路を直進です。人混みに疲れた脳にはありがたい限り。

数時間前に一度体験してますから、勝手知ったる顔で搭乗エリアへ。前回の記事でいろいろ書いたので、なんか、もう書くことないですね笑。

例に洩れず、万歳ポーズをしておきました。はい。

⑧Fantasmic!

そして時は夜8時。WDW観光は、Disneyキャラが勢揃いするナイトショー「Fantasmic!」で幕を下ろします。水上で繰り広げられる光と映像の魔法の世界です。

正直申し上げると、疲労がたまり、ホテルに帰りたい気持ちもありました...。が、本場のディズニーまで来て、Fantasmic!を見ない選択肢は、少しはあるけれど、まあ、ないに等しい!

気を取り直して、夜8時からの開始時刻に間に合うように会場へ出発です。

到着時刻が早いので、席にはまだまだ余裕があります。日の入り前でまだ明るいですね。

会場構成:まず手前側には、鈍角約240度の扇形のエリアに観覧席が所狭しと敷き詰められ、その先にはショーの目玉である遊覧船が航行する広大な湖があり、湖の向こうにはDisneyキャラがパフォーマンスを披露するステージがあるという構成。ちょいと、小説チックに書いてみました。

ちなみにぼくは、中央の後段付近の席を確保しました。会場全体を視界に収められる場所が好きだからです。

さて、開演時間が刻々と迫り、席は気付けば満席に。画像は全体の右半分で、これと同数の観客が、さらに左半分を埋め尽くしています。一応、「平日」の夜8時ですからね。需要は一瞬も逃さない、さすがディズニーです。

ショーがはじまると、最初はMickeyがジャンピングで登場。

続いて、水上エリアに、広大な水の幕が出現。その幕に、ディズニー映画の名シーンが投影され、同時に万人が知る名曲も流されて、会場は神秘的な雰囲気に満たされます。

たとえばこれは、アナ雪ですね。

ラストは、水上エリアに遊覧船が堂々登場。MickeyやMinnie、Donald、Pluto、Dwarfなど、お馴染みのDisneyキャラとご対面して、華々しいナイトショーは終焉となりました。

ま・じ・で、夜8時まで耐えて正解でした。疲れに打ち勝てた自分に感謝カンゲキ雨嵐。

終:HollywoodStudio→ホテルへ

丸一日をDisneyで過ごしたぼくは満身創痍。心も身体も生気で漲りました。

とはいえ、想い出に浸る暇は寸分もなし。

翌日は、朝2時に起きて、空港に向かう予定なので、早々とホテルへ退散です。

例に漏れず、ライドシェアアプリ「Lift」でTAXIを召喚し、無事にマッチング。約20分の深夜ドライブを経て、ホテルへ到着しました。

ちなみに、直営ホテルの宿泊者は、下記画像のように、特製のディズニーバスがお出迎えにあがるようです。旅の最後までエスコート。さすがディズニーです。

寝る前に、まずは腹ごしらえ!朝の暴飲暴食から、水以外に何も摂取していないので、ひとまずホテルの売店でSandwichを購入。二個入りで1000円弱。...もう、物価の異常性には、いちいち驚きません。

時刻は午後10時30過ぎ。起床時刻は午前2時です。今から寝ても、睡眠時間は最大で3時間強...。

身体の疲労はピークでしたから、秒で、それは文字通り「瞬殺」で入眠できました。

翌日の動きは...次回の記事で、それはもう、濃く深く振り返ります。

まとめ

よし、書き終えた!

...

ふぅ。後半戦を簡潔に振り返ります。

Muppet3Dで人心地つき、StarWars宇宙戦争を疑似体験し、時間つぶし目的でタワテラに再訪して、フィナーレはFantasmic!で煌びやかに幕を下ろす。いや、めちゃんこ充実してますよ。いいじゃないですか、いいじゃないですか。

正直申し上げると、ぼくは事前の準備とか全くせずに、その場のノリで、空いてる場所に突撃する、まさにサバイバルスタイルを選んでいました。

それでも、待ち時間はMaxでも30分程度。Hollywood Studio内の全エリアをバランスよく回ることができました。加えて、「暇潰し」という消極的な目的意識でも、あのタワテラに5分待ちで乗れましたから、日程やタイミングにも恵まれたのかなと思います。...うほほ、やった!

ーーーーー

さて、次回の記事は帰国の旅です。

FL州のMCOから、TX州のDFWを経由して、JPNのHNDに向かう旅を振り返ります(Alphabetが多すぎて若干腹立たしいですね笑。知りません。)。

家に帰るまでがトラベル。次回は正真正銘、旅のラストワンマイルです。

最後までお楽しみください。

余談

WDWは、米国旅行を計画中に、若干の遊び心で選んだ観光場所です。

計画の立案当初は、若年男性が、ソロで突撃する場所としては、心理的なハードルが高いかなと、尻込みをしたのも事実。しかし拠点は、自由の国:U.S.です。周囲の目とか、世間的な常識とか、もうそういう柵は気にせず、自分の誇りや克己心を軸に旅行プランを構築したい!その思いを胸に、WDWの観光を決意したわけであります。

結果、満足度は120%。いや、もう定量的に評価してる場合ではないですね。精神が満たされましたし、人間としても一皮剝けた気がします。

はい、余談終わり。

【U.S.旅:PART5】NY観光前編:自然と歴史の巡礼録/セントラルパーク/自由の女神/WTC/MET etc.

こんにちは、あきとです。

前回の記事では、羽田→JFKへの航空機の旅をお届けしました。

今回の舞台はU.S.本土。最初の標的はニューヨークです。

膨大な想いと体験を、一つの記事に要約する器量がないので、ひとまず前編と後編に分けたいと思います。

前編では、セントラルパークやベーグル店、自由の女神etc.をお送りします。

遊んで食べて歴史を味わう。気ままなソロ観光の模様をぜひお楽しみください。

早朝:セントラルパーク

最初の観光地は、NY市の自然のシンボル「セントラルパーク」です。

天気は文句なしの快晴。

青一色の空のもと、ぼくは30分ほど時間をかけてパーク内を駆け回りました。

「駆け回」るというのは、別に強調表現でもなんでもなく、ホントに一人でジョギングしてました。周りのニューヨーカーが、陽気に走り回るものですから、ぼくもその空気に飲まれて走りたくなりました。

ただ、ホントに果てしないですね、ここは。一周が約10キロで、東京ドームが72個入るらしい。と言われてもよくわからないけど、パークというよりテーマパークの方が似合うような、テーマパークよりシティが似合うような、そういう場所です。

朝:ベーグル屋

時刻は朝8時。起床から2時間以上が経過。

つまり、程よくお腹が空いている時間帯です。早速朝ご飯を食べに行きます。

目的地は、グリニッジ・ヴィレッジにある「Murray's Bagels」。ベーグルで有名なお店で、観光客にも地元民にも人気のようです。

ホテルの最寄り駅「59丁目駅​」駅から地下鉄で約15分。「14丁目駅」駅で下車し、駅から徒歩5分強の場所にお店を見つけました。

店内は、手前側にお客用のテーブル席やソファーテーブル。奥にはベーグルの味付け用に、チーズやフルーツなどのフレーバーが陳列されています。

ぼくが頼んだのは、

  • 1)プレーンのベーグル
  • 2)特性チョコ風味のデニッシュパン

店内のテーブル席でお食事。一人で気ままに楽しむベーグルのモーニング。

一つだけ食べて、残りはランチ用にキープします。甘すぎて飽きたからです。

朝:自由の女神

エネルギーを充填して、次なる観光地へ向かいます。

目的は、アメリカのシンボル「自由の女神(以下、女神と略)」です。

女神は、本土から離れたリバティ島にある銅像。ですから、本土の陸地から眺めるだけでは、その全貌を視界に抑えることはなかなか難しいのです。

我ら観光客が拝む手段は一択。フェリーです。

ぼくもスタテン島から出港する無料フェリーに乗車します。これ、帰りの写真かもしれないです。

NYは地下鉄がほんとに便利ですね。東京で生活する感覚で地下鉄を利用できる点は非常にありがたいです。

ちなみに、このフェリーは、リバティ島には直接寄港しません。それでも、女神を拝める距離まで近づいてくれますし、女神を軸に展開されるマンハッタンの高層ビル群を贅沢に一望できます。

まさに伝統と繁栄のコントラスト。

テレビの向こう側の世界を生身で味わえる喜びはひとしおですね。

お昼前:①グランドセントラル駅

次の目的地はグランドセントラル駅。70本弱の線路を擁する世界でも指折りの規模を誇る鉄道ターミナルです。

西洋の建築美が味わえる駅舎。東京駅をキリスト風に仕立てたイメージです。

以下の写真も、駅舎の中心に、キリスト風の銅像が鎮座しています。それぞれ、ミネルヴァ、ヘラクレス、マーキュリーという名前らしいです。まあ、記事の受け売りです。

と、路上ライブを目撃。リッチなライブスタジオ。

しかも、音が澄んでいて割と惹きつけられる。

お昼前:②ワールドトレードセンター(WTC

ランドセントラル駅で、歴史と音楽に触れた後は、地下鉄でWTCへ移動します。

訪問日は9月10日。

メモリアルデイ前日ですから、駅周辺も平日ながら観光客であふれていました。

WTCはスリムで急峻。天に突き刺さんばかりのフォルムです。

ぼくは上京したお上りさんごとく、約20秒間はビルを隈なく仰ぎ見ていました。

昼:MET(メトロポリタン美術館

どんどん参ります。

次は、美術と芸術の宝庫「メトロポリタン美術館(MET)」です。

METは、美術館自体が展示品と思えるデザインと規模を誇る世界三大美術館の一つ。

この規模で、入場料は約3000円。

美術品の価値と照合すると非常にリーズナブル。所有権は移転しないとはいえ、総額10の数乗レベルの芸術品を一度に鑑賞できるわけで、そう考えると、3000円はホントにお得だと思いました。

ただ、ぼくは芸術への造詣はめちゃんこ浅い。教養もない。「ラファエロミケランジェロ!名前の響きがいいね!」程度で、彼らの作品も性別も知りません。

ですが、なぜか没頭できる。というか、気づくと作品に吸い寄せられてしまう。

つまり知識なんていりません。芸術鑑賞に必要なのは感性です。

さて、作品としては、中世の騎士の鎧や武器、ルネサンス期の絵画、古代ギリシャやローマの彫刻などがあるようです。...パンフレット情報です。

時代や文化を超えて、幅広に作品群を楽しめますね。

これ、騎士の写真。こんな重い鎧で戦えるものなのでしょうか。

古代エジプトのエリア。スフィンクスと横並びで記念撮影です。

ひとまず1周し、時計を見たら、時刻は午後3時過ぎ。ややギリギリです。

というのも、この後はTimes Squareに移動して、アラジンを鑑賞する予定。開演は夜7時ですが、それまでの時間に、散策&お土産の調達をしたいので、午後4時頃には到着する計画を立てていました。

もう少し鑑賞したい想いに蓋をして、METを後にします。

「少し足りない」がちょうどいい。腹八分と似たようなものです...たぶん。

午後:次回記事

METの後に訪れたTimesSquareは次回の記事で振り返ります。

下のリンクからぜひご覧ください!

akito-library.hatenablog.com

まとめ(前編)

自然と触れ合い、食事を味わい、歴史を学び、芸術に嗜む。

総じてみると、定年退職した爺さんですね。いや、ぼく24です。

心残りとすれば、セントラルパークです。正直全体の5%も開拓できていない気がするのです。ぼく、少しジョギングしただけですからね。半日かけて丹念に開拓するのも面白そうです。

次は後編。

トランプタワーやブロードウェイを巡る夜の旅です。次回もぜひご覧ください!

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