AKITOの思考ノート

あきとの備忘録

板チョコレートは一日一枚

#58 【暇つぶし力という才能】暇つぶしができる人は人生を楽しめる

まくら

こんにちは、あきとです。

暇つぶし力。

あれよこれよと伸びまくる平均寿命をなんとか楽しく生きていくためには、この「暇つぶし力」こそが大事になるとぼくは考えています。

一昔前までは、60歳程度まで生き延びれば大往生だと称賛されていた世の中でした。

しかし、いまはだいぶ風向きが変わってきています。

60で亡くなったら、「ぐすん、ぐすん。いくらなんでも若すぎるわよね」といわれてしまう始末です。

このようにいまの社会においては、70歳とか80歳、強者であれば90歳という年齢まで生き延びてしまうことが当たり前。

そういう中でも、授かった「生」というものをたっぷりと堪能するためには、暇つぶしという力が求められることになるでしょう。

あれよ、あれよと伸びる寿命

寿命が延びるということは、人生においてできることが増えることなのですから、一部の人にとっては確かに望ましいことであるといえるでしょう。

やりたいことがあり、達成したい目標があり、叶えたい夢がある。

人生という迷路を貪欲に楽しんでいけるような人であれば、寿命が延びることに対して何の抵抗も抱かないはずだからです。

たとえば、76歳で亡くなった天才物理学者であるアルベルト・アインシュタインが、もし90歳過ぎまでご存命であったとすれば、おそらく彼は自分の大好きな学問を徹底的に極めようとしたでしょう。

ですが、寿命が延びてしまうとなると、それだけ「生き」なければならない時間が増えることになります。

それって、なにか打ち込めるような対象がない人間にとっては、ただの苦痛な時間なのではないかと思うわけです。

そこでぼくが提唱したいのが、徹底的に「暇つぶし力」を鍛えるというもの。

ぼくたちは常に、アホ長い人生という時間の暇つぶしをするためになんとか楽しく生きようと必死になっています。

ですから、「暇つぶし力」がある人が楽しく人生を過ごせるということは、もはや自明のことだと申し上げているわけです。

暇つぶし力という偉大さ

暇つぶしというのは、「特定の対象に一定時間の注意を向けること」であると、ひとまずは定義しておきます。

暇つぶしができることから生まれるメリットは、大きく分けて二つあると思います。

第一に、時間を忘れられるということです。

時間を忘れるということは、それだけ自分の脳みそがなにか違うものに没頭しているということです。

一定の注意力をもちながら、特定の対象に自分の思考とか行動の重心をおくことができれば、そのあいだだけは、「生きなければならない」という意識と決別することができます。

たとえば、料理をしたり食べたりすることが趣味の20代男性がいたとしましょう。

彼は、日ごろから外食やコンビニ飯は食べないで自炊ばかりしているので、一日の献立を考えたり食事を作ったりするために数時間(3~4時間)を費やしています。

この時点で、一日の約4分の1くらいの時間を「忘れる(=暇つぶしする」ことができているわけです。

しかも、自ら楽しいと思えることをしながら、です。

これが、暇つぶしの威力。

もし彼に料理という趣味がなければ、一日のうちの4時間くらいは、思考を停止した状態で虚空を見つめながら時を過ごすことしか能がなくなってしまうかもしれません。

第二に、ボケないということです。

ぼくたち人類には、廃用といって、しばらくのあいだ使われていない機能の働きを低下させてしまう仕組みが備わっています。

ある能力を使わないということは、脳や身体が、その能力が生存のために必要であると認識することができないからです。

たとえば、使われない筋肉は、日を見るたびにぐんぐん衰えていきます。

さらに、使われない脳みそは、その認知能力を日々懸命にそぎ落としていくことでしょう。

身体が衰えれば自立歩行が不能になる。

脳が衰えれば「おい、ばあちゃん!今日の朝ご飯はまだかいな!?」、「あれあれおじいちゃん、さっき食べたじゃないの」状態になってしまいます。

しかし、この廃用という悪しき先天的能力に、何とか歯止めをかけることができる方法があります。

それは、「暇」という安静状態を徹底的に破壊(つぶす)していくこと。

すなわち、「暇つぶし」です。

積極的に日常生活に「暇つぶし」を取り入れてあげることで、自然と脳が動くようになります。

まとめ

ぼくはいま20代なのですが、とりあえず70手前くらいまで生きるであろうと仮定すると、いままでの人生をあと2回以上繰り返さなくてはならないわけです。

たしかに、しばらくのあいだは、「仕事」という絶好の暇つぶしの手段に縋りつくことができます。

ですが、休日や定年退職後となると話は別です。

時間に追われず、義務に追われず、だれにも追いかけられない人生。

そんな無為に満ちた寂れた人生を送りたくはない。

そのためにも、やはり「暇つぶし力」を鍛えていくことは、社会をランラン楽しく生き抜いていくための大切な戦略だと思うわけです。

 

#57 【伊香保温泉への一泊二日旅行】はじめての旅館泊と普通列車の帰り道

こんにちは、あきとです。

今回も前回に引き続き、会社の年次休暇を利用して参りました伊香保温泉への旅行に関する記事を書いていきたいと思います。

おやつにお饅頭

ぼくが自分の家を離れてどこか地方を旅行をしたいと思ったきっかけの一つに、一人楽しく歩きながら「食べ歩き」をしたいというものがあります。

お昼ごはんのあとに伊香保の石段街を散策していたら、ちょうど小腹がすいてきました。

というわけで、ちょうど石段の終りの方にあったお店で、お饅頭をいただきました。

中には餡子が入っている一般的なお饅頭なのですが、おいしくて30秒くらいで一気に食べてしまいました笑。

ぼくは子供のころから、ケーキとかシュークリームのような洋菓子よりも、お団子や大福、おはぎのようなもちもちした和菓子が大好きなんですよね。

このお饅頭も、まさにぼくが求める味と触感を兼ね備えていたのであります。

疲れたので旅館へ

伊香保の石段街に午後1時に到着したぼくは、その後午後三時半ごろまでのんびりと石段や伊香保の町全体を散策していたわけでありますが。

さすがに、2時間も歩いていると、飽きてきますし、なにより疲れてくるのです。

というわけで、事前にネット予約をしておいた「さくらい旅館」様にお邪魔することにいたしました。

石段街から歩いて10分程度の距離なので、迷うことなく着いちゃいましたね。

送迎サービスもやっているらしいので、雨の日とかは助かりますね(ちなみに、翌日の朝は雨でしたので、帰りは送迎サービスを使いました!)。

当初は午後五時にチェックインする予定でした。ですが、当日にチェックインの時間を早められないか電話でお尋ねしたところ、快く引きうけてくださいましたね。ありがたい!

ぼくが宿泊した部屋はこんな感じ。

フローリングやカーペットではなくて、「畳」。

テーブルじゃなくて、「ちゃぶ台」。

ソファーではなくて、「座椅子」と「座布団」。

こういう「和」を存分に感じることのできるお部屋で過ごしたいと思っていたので、部屋のつくりや設備には満足しかありませんでした。

旅館でのお食事(夜)

なによりぼくが楽しみにしていたのは、お食事。

食べることしか楽しみがないので、旅館での食事というのは、旅行における一丁目一番地の楽しみともいえる偉大なる存在です。

これぞ、「旅館!」という感じのお食事ですよね。

品数の豊富さとその色とりどりのお料理。

誰にも邪魔されず、自分のペースで、自分の好きな順番で、自分の好きな姿勢で。

自分の好きな食べ方で、自分の好きな焼き加減で、これだけのお料理を一度に堪能することができる。

こんな幸せ、一人だからこそ味わえるんですよね。

だれにも気を遣わなくていいからこそ、ストレスもたまらない。最高の環境です。

ちなみに、これにプラスして、大量の白米も運んできたくださいました。

ぼくは白米の味と触感が大好きなので、お替りしちゃいましたね笑。

旅館でのお食事(朝)

ちなみに、ぼくの予約したコースは、朝ごはんもお部屋まで運んでくれるタイプのものだったらしいので、朝もしっかりいただきました。

ちなみに、「らしくて」というのは、予約するときはてっきり夕飯だけしか出ないと思い込んでいたんですよ笑。

旅行慣れしていないからこそ起きる瑕疵ですね。

まあ、豪勢な朝ご飯をお部屋でゆっくり食べられるなんて贅沢をみすみす逃すわけにはいきませんから、朝ご飯もしっかりおなかに収めてまいりました。

この写真の箱の中には、焼き魚やしゅうまい、ソーセージ、ひじきなどのお料理が詰め込まれています。

朝ご飯の後は、あと少しで読み終わりそうなミステリー小説を一時間ばかり読んでいましたね。

そうこうしているうちにチェックアウトのお時間になりました。

現実へ

旅館を後にしたのちには、もう現実に戻るしかない。

現実に戻るというのは、自分の家に帰るということ。

というわけで、さっそく帰途につくことになるのですが、ここで迷いました。

特急草津で帰るのか、普通列車でのんびり帰るのか。

結局、次の日も休みで特に焦る必要も感じていなかったころから、普通列車を乗り継いでのんびりと帰ることにしました。

ちなみに帰り道の途中では、永田町にある自由民主党本部へ。

そこに設置されていた安倍晋三元首相への献花台に、人生で初めて購入した2000円くらいのお花を供えてまいりました。

行かないと一生後悔するだろうなと思っていたので、思い立ったら吉日ということで、しっかりと感謝の思いを伝えてきました!

まとめ

人生で初めてゼロベースで計画をした一人旅行。

手始めに、自分が住んでいる関東圏内を旅してみようと思い、前から気になっていた群馬県伊香保温泉街を旅行先に選んでみました。

はじめての旅行にしては、ちゃんと天候に恵まれましたし、自分のやりたいこともできましたし、食べたいものも食べられましたし、割と満足度の高い旅行になった気がしています。

ていうか、普通に楽しかったです笑

まあ、連休明けには、またお仕事の毎日です。

今度どこかを旅行するときには、二泊三日とかを計画しちゃおうかなとか、関東圏を脱出して東北地方とかを旅しちゃおうかなとか、そういう楽しいことを考えながら、日々の労働に勤しんでいきたいなと思います。

 

#56 【伊香保温泉への一泊二日旅行】第一話:出発~昼飯(平日の快適な一人旅)

こんにちは、あきとです。

ぼくは幼いころから、家族旅行のようなものをしたことがありませんでした。

なので、旅館に泊まったり、旅館でお食事をいただいたりした経験もないんです。

修学旅行を除けばですけどね。

そこで今回は、ぼくの会社にある「夏期三連休」という特別休暇制度を使って、人が少ない平日をターゲットにした自由奔放・奇々怪々・驚天動地な一人旅を計画してみたわけであります。

「奇々怪々・驚天動地の~」というのは、とあるアニメのナレーションを拝借した枕詞です。わかるひとにはわかるかも笑。

普段あまり贅沢をしない性格が幸いしてか、伊香保温泉への旅行では、普段感じることのない非日常感を存分に味わうことができましたね。

「特急草津一号」

ぼくは自宅から上野駅まで電車で移動した後、伊香保温泉がある群馬県渋川駅までは、特急草津一号に揺られながら悠々自適な車窓旅を堪能しました。

ぼくは昔から、「特急~号」とか「スーパー~号」みたいな男心くすぐるネーミングの電車の名前に酔いしれてしまうところがあるんです。

というか、もう「特急」だけで心が少し震えちゃいますね。

ただまあ、人生ではじめて乗る特急列車というだけあって、いろいろと不安に思うところもありましたね。

たとえば、自分で特急切符を買わなければならない。その種類もどうやら二種類あるようで、もう頭は大混乱。

あるいは、どの号車が指定席なのか、どこの座席に座ればいいのか、車内食は買うべきなのか。特急列車独特のルールを理解するのにも必死でしたね。

まあ実際やってみるとそこまで悩むほどむずかしいことではなかったので、ひとまず安心しました。

画像のように、ぼくは今回指定席を選びました。なぜなら、ぼくが切符を購入したときには、切符の事前購入がお得になる「特ダ値!40%オフキャンペーン」がやっていたんです。指定席でも2300円くらいで購入できちゃいました。たぶん、当日買う自由席より安いかもしれません。

さらにぼくは、新幹線は選びませんでした。高いからです笑。上野から渋川程度なら、特急でも新幹線でもたいしてかわらないきがします。さすがに、大阪や名古屋まで行くとなると、新幹線を選びたくなると思いますけどね。

到着!

2時間30分くらい電車に揺られて、ようやく渋川駅に到着です。

ぼくは当初、渋川駅は何もない田舎なのかなと思い込んでいました。

ですが、それはぼくの身勝手な偏見。

駅の前にはコンビニや交番、お土産屋さん、和食レストランがありますし、バスのロータリーも5つ?くらい設置されていました。

さて、伊香保温泉を目指す場合は、3番バス乗り場から出ているバスに乗り込みます。

通常であれば、「石段街口」みたいな駅で降りるらしいのです、ぼくはあえて降りる駅をずらしてみました

なぜなら、バスではなく、自分の足で伊香保の街の散策をしてみたかったからです。

少し手前の駅で降りてみるという行動をとることで、こういう景色とご対面することも可能になります。

三人とか四人とかで旅行に来ているとできないようなこういう自分勝手な謎行動も、だれの気も遣わなくていい一人旅であれば、基本的に許されることでしょう。

いやはや、最高ですね。

人に気を遣うからストレスがたまるのに、旅行に来てまで誰かに気を遣わなければならないという災害を自ら引き起こすわけにはいきませんね。

石段街の旅

伊香保といえば石段街。石段街といえば365の階段

無事に12時半ごろに石段街に到着したぼくは、ひとまず階段を上ってみることにしました。

だって、なにをしていいかわからないんですもん。

というわけでとりあえず、「登る」ことにしました。それしかないですから。

何の予備情報も仕入れずに石段街に参上したわけですが、思いのほか、レトロ・昭和風な佇まいのお店がたくさん軒を連ねているところに新鮮味を感じましたね。

射的屋さん、お饅頭屋さん、銭湯、うどん屋さん(水沢うどん)などなど。

現代的な暮らしをしていると、まず目にすることのない光景です。

当初は「365」という死の数字に唖然としていたものの、いざ周囲の風景を楽しみながら登り始めると、意外とゴールするのは早かったですね。

足や体の疲れを認識する余裕がなくなるほど、周囲の景色の非日常感を脳が理解するのに必死だったのかなと思います。

さて、ちょうど石段を150段くらい登っていた時に、突如自分がとてつもない空腹状態にあることに気づいたので、ひとまず近くのうどん屋さんで、地元で有名らしい「水沢うどん」をいただくことにしました。

お昼休憩

お世話になったのは、伊香保市内に三店舗の水沢うどん専門店を展開している「大澤屋」といううどん屋さんです。

お店の外観の写真を撮るのを失念してしまいましたが、メニューやお料理の写真はしっかり撮ってまいりました。

水沢うどんが有名らしいので、注文するのももちろんうどん。

そもそも水沢うどんっていうのは、地元の小麦粉と水、塩のみで作られているうどんのことです。

つまりこのうどんには、澱粉やら添加物やらの余計なものが入り込んでいない!

そのおかげなのか、変に硬すぎることもなく、柔らかすぎることもなく、人工的な甘さで味をごまかしているわけでもない、うどん本来の純粋なおいしさを堪能することができました。

また、お店では、野菜の天ぷらor舞茸のてんぷらをつけることができます。

旅行にまで来て健康を気を使うのは懲役100年というということで、お野菜ではなく、おいしそうな舞茸てんぷらをいただきました。

このお店の天ぷら、珍しいことに、「つゆ」というものがついていないんですよね。

店員さんのおっしゃるところによれば、「衣に風味・味がついている」というのです。

味付きの衣といわれても、いつもは天つゆを奥深くまで染み込ませてから天ぷらを食べるぼくからすれば、その味を想像することすらできません。

しかし、つゆがないということは、つゆで味を上書きされることがないということ。

すなわち、衣にほのかな風味を加えておくことによって、天ぷらそのものの味わい深さに浸ることができるというわけです。

そう考えると、うどんも天ぷらも、変な調味料で味をごまかさしていないからこそ、その食材のもつ本来の風味を味わうことができたのかなと思いましたね。

まとめ

今回の記事では、はじめての一人旅行ということでお邪魔した群馬県伊香保の石段街をめぐる旅をご紹介してみました。

といっても、まだ半分くらいしか書けていないので、しばらくしたのちに二本目の記事もあげようかなと思ってます。

雑記

楽しかった夏の連休も残すところあと二日。

それが終われば、またあの殺風景で面白みのない職場でのお仕事が始まってしまいます。

まあ、その苦難を乗り越えているからこそ、楽しいお休みもいただけるわけですし、生きる武器であるお金もゲットできるわけですから、そこまで文句はないんですけどね笑。

#55 【過去最高傑作】ドラゴンボール超スーパーヒーローのストーリーを勝手に評価

こんにちは、あきとです。

先週の金曜日に取得した年次休暇を利用して、一年近く楽しみにしていたドラゴンボール超の新作映画を見てきました。

去年?の梧空の日にサプライズ発表があってから早一年近く。

一度は公開延期になりつつも、ようやくお披露目となった今回の映画ですが、

ぼくは今回の映画を、ある一つの条件付きで見ることにしていました。

それは、動画やホームページをはじめとする新作映画の「予告情報」に触れないこと!

つまり、完全に「無」の状態で新作映画を見てきたわけであります。

予備情報をなにももたない人が、新作映画を見たらどう感じるのか。

いろいろと書きたいことはあります。

ただ、ストーリーにも作画にも登場人物にも触れていると文字数が偉いことになってしまいますので、今回は、まずは「ストーリー」に焦点をあてた自己中な感想記事を書いてみたいと思います。

・・・。まあ、ポスターやCMは嫌でも目に入ってしまうので、レッドリボン軍や悟飯が大いに関係している映画であることは知っていたんですけどね笑。

ストーリー

ストーリー面について一言でいえば、「古き良きドラゴンボール」と「戦闘マンガとしてのドラゴンボール」が絶妙に融合した新しいドラゴンボール映画の形をみることができた素晴らしいストーリーだったと思います。

正直なことを言うと、前作のブロリー映画のストーリーについては、周りの人が持ちあげているほど諸手をあげて評価したいとは思えなかったんですよね。

確かに、ゴジータブロリーの戦闘には息を呑むような迫力がありました。

また、幼年時代を過酷な環境で過ごしたブロリーの背景事情にも思いを馳せるものがありました。

ですが、なにかが物足りなかった。

バトルの迫力だけじゃ満足できない。

もう少しアドベンチャー要素というか、そういうものがほしかったのです。

その点、今回の映画はぼくが求めていたものがふんだんに盛り込まれていたと思います。

古き良さドラゴンボール

古き良き部分。

これはまさしく、本来のドラゴンボールがもつべき「アドベンチャー」要素と「ギャグ」要素、「憎めない悪役」の三つの要素に大別することができます。

アドベンチャー

アドベンチャーとしては、ピッコロの孤軍奮闘ぶりとレッドリボン軍の要塞に新鮮味がありましたね。

ピッコロ大魔王であれば絶対にやらないようなことでも、大魔王ではない純粋なピッコロだからこそできる慣れない潜入活動。

この部分に、笑える要素だけではなく、ピッコロの心の変化も見ることができた気がします。

また、レッドリボン軍の施設の独創性・近未来性にも鳥山先生の壮大な遊び心を見ることができました。

ぼく、ああいうSFチックなデザインが昔から大好きなんです笑。

とくに、鳥山先生の描く近未来的な自動車や家のデザイン・機能性には惚れ惚れしてしまいます。

まさしく、「そうさ、いまこそアドベンチャー!」な一面ですね。

ギャグ

ギャグについては、まさに鳥山先生の真骨頂ともいえる領域ですよね。

今回の映画の中にも、鳥山イズムがふんだんに盛り込まれていました。

中には、長年のファンだからこそクスッと笑える昔懐かしいネタもありましたね笑

いろいろ書きすぎるとキリがないので長くは書きません。

ただ、「ギャグ」を自然と物語の中に組み込んでしまう技術にはほんとうに頭があがりません。

あれは才能ですよね。

ちなみにぼくが一番好きなギャグは、ウミガメを助けてくれた悟空に対するお礼の品として亀仙人が選んだ「不死鳥」が、実はその前の年に食中毒で死んでしまっていたというお話です。

不死鳥なのに死ぬことに笑えるのではなく、その死因が「食中毒」というのがじわりとくるんですよね笑。

銃で撃たれたとか、そういう人為的なものではなくて、食中毒。

ほんと、天才的なセンスの持ち主だと思います。

憎めない「Dr.ヘボ

第三に、「悪役だけど悪い奴じゃない」系のキャラが挙げられます。

ぼくがドラゴンボールの中で一押しのキャラクターが、無印の最初のほうから登場しているピラフ一味のピラフ様です。

ピラフって、確かに物語の中の立ち位置としては、悪役だとは思います。

ただ、だからといって、根っから悪い奴っていうわけではないんですよね。

あどけなさというか、お茶目さというか。

デザインや振る舞いがなんとも愛おしいので、悪役だけど憎む気にはなれないんですよね。

そういう微妙なラインのキャラクターを描くのが巧みな鳥山先生が生み出した新しいキャラが、ガンマ1号と2号、そしてこれらを製造した「ドクターヘボ」です。

10代で博士号を取得した天才研究者・ヘボは、研究とか実験が大好きな超絶好奇心旺盛なキャラ。

ちょっと性格に癖はありますが、自分に素直な普通にいい奴です。

身長は、たぶんクリリンと同じくらいかそれよりも小さいくらいのおチビちゃん。

そして、体系は少し小太り。

もうこの時点で、ルックスがかわいいんですよね笑。

ただ、性格が正直すぎることが災いして、レッドリボン軍に吹き込まれたでたらめの情報を信じてしまいます。。

まあ、結局最後はレッドリボンの情報のでたらめさに気づいて、素直に悟飯たちに謝り、しまいにはブルマの家で思う存分研究をさせてもらえることになったんですけどね。

久しぶりに、鳥山先生のピラフ様的な立ち位置のキャラをみることができてほんとうにうれしかったです。

まとめ

今回の映画は、これまでのどの作品よりも鳥山先生らしいアドベンチャー要素と遊び心が入っているような気がしましたね。

たしかにドラゴンボールはバトルシーンにばかり注目が行きがちですが、

ぼくはどちらかというと、

愉快でかわいい個性あふれるキャラクターたちが大冒険をするストーリーのほうが好きなんですよね笑

バトルもアドベンチャーも両方あるからこそドラゴンボールが成り立つわけですし、両方とも好きなんですけどね。

 

#54【夏と西日とランニング】ストレスフリーなランニングを求めて

こんにちは、あきとです。

社会人デビューからはやく2か月が経過しようとしています。

4月に入社したときは、この奴隷生活が40年も続くのかと愕然としてました。

入社一か月で項垂れるなんて早すぎる気もしますが、まあ、なにか趣味にでも傾倒しながら長すぎる人生の暇つぶしをしていきたいなと考えています。

今回は、入社してから週6~7回のペースで続けているジョギングについて書いていきたいと思います。

RUN

さて、入社してから趣味がてら、運動というものをはじめてみております。

「はじめてみた」とは言いつつも、ぼく自身身体を動かすのは昔からすきなので、いままでも週に3回とか4回のペースで筋トレとかランニングとかに取り組んでいました。

ですが、社会人になってからは、一日の大半をデスクワークに奪われてしまうことが増えてきたので、必然的に運動不足が気になりはじめてきたのです。

であるならば、週に三回とかケチくさいことをいわずに、毎日決まった時間にからだを動かしてみようではないか。

そういう軽い気持ちで、運動をルーティンワークに組み込んでみようと一念発起したのです。

ストレスと西日

ですが、会社から帰宅した後に外の河川敷をランニングするときには、一つだけ大きなストレス要因となるものと相対しなければなりません。

それが、「太陽」です。

ぼくの会社は17時くらいに終業するので、家に帰れるのは17時30分前くらい。

夕方にあたる午後5時過ぎのランニングの敵といえば、やはり西日ですよね。

しかもいまは、日照時間が怖ろしく長い「夏」という時期。

夏の太陽は、地平線のかなたに沈むまいと長時間にわたり粘りつづける、ほんっとに質の悪いやつです。

そしてこの太陽こそが、夏の17時とか18時の時間帯にぼくの目を焼き尽くすほどの光を放ちやがるものの正体というわけ。

秋とか冬の時期の太陽は、17時を過ぎたくらいで大人しく沈んでいってくれます。

ですが、夏はそうはいきません。ずっと居座りやがるのです・・・。

正論を言えば、地球の公転軌道のせいなんですけどね笑。

時間

気持ちよくランランしたいにもかかわらず、ぼくの目を刺激しつづける強力な紫外線。

夕方は紫外線が弱くなるらしいですが、まあそういう小難しいことはおいておきましょう笑

この紫外線により、仕事のあとの運動を気持ちよく楽しむことができない。

そのために考え付いた解決策が、「時間」と「サングラス」です。

そもそも、夏の異常な日照時間の長さは、宇宙というアホでかいスケールが生み出したもの。

生命体のお母ちゃんともいうべき宇宙に文句を垂れ流したところで、結局なにも解決しないのは、火を見るよりも明らかです。

ただ、ほんとのところをいえば、早めにランニングと風呂を済ませて、19時くらいからはゆっくりディナーをいただきたいというのがぼくの本音です。

だから、走る時間をあまりずらしたくありませんでした。

ですが、二兎を追うものをは一兎をも得ず。

あれもこれもやろうとすると、結局西日というストレス要因に打ちひしがれることになりかねません。

しまいには、ランニングそのものに嫌気がさしてしまうかもしれない。

アホ長い人生の暇つぶしとして見つけたランニングという貴重な趣味を、「西日」というよくよく考えれば小さすぎる稚拙なことを理由にしてあきらめたくない。

以上のことから、ぼくはまず「走る時間」を変えることにしました。

具体的には、スタート時間を約1時間遅らせて、18時30分から走り始めることにしたのです。

サングラス

ですが、まだまだぼくの西日との闘いは続きます。

18時30分といえども、ふつうに太陽は居座りやがるわけです。

「いつまで西におんねん!」と言いたいほど、太陽はまだそこにいるのです。

さすがに18時30を過ぎれば西日もつらくないだろうという算段だったのですが、ぼくの目論見は見事に外れましたね。いやはや、夏、おそるべし。

ここまでくると、さすがに宇宙に文句の一つや二つも言いたくなります。

ただ、宇宙に文句を垂れ流しても何も解決しないのは、先ほど言及した通りです。

というわけで、次なる解決方法として私が選んだのが、サングラス。

「日照時間」という自然の摂理と対抗することができるのは、「物」という文明の利器しかありません。

中でもサングラスという「物」は、西日と戦いつづける篤きランナーたちの大いなる味方。

ちょっぴり高い買い物ではありますが、2000円という金額をはたいて利器を購入することを決したのです。

効果は、まあ、ありました。

サングラスに求めるのは、光のまぶしさの軽減効果くらいですからね。

求めていた効果をそのまま受け取ることができた、という感じです。

まあ、前を向いて走っていても、イライラを呼び起こすあの眩しさを感じずに済むようになったのはほんとうに大きな収穫でした。

どうせ走るなら、気分良く、ストレスなく走りたいですからね。

そういう意味では、サングラスはいいお買い物だったと思います。

共存

西日を嫌う社会人のわがままを和らげるために導入したいくつかの解決策。

それが、「時間変更」と「サングラス」でした。

夏の西日は避けたいけど、ランニングの後のお夕飯の時間をずらしたくない。

こんな身勝手、通用するはずがないですよね。

宇宙を変えるなんて無理なんですから、結局は自分が自然に合わせて共存していくしかないのかなと思うわけです。

まとめ

夏のランニングのあとの気持ちよさ、清々しさは何事にも代えがたいものがあります。

走り終わった後に感じる筋肉の弛緩と、それによりからだ中にじわりと広がる熱。

全身の皮膚や細胞を固く絞り出したかのように噴き出る大量の汗。

ぼくの場合は、この二つを体験したいがためにランニングをしているような節があります。

しかし、夏の夕方には「西日」という大敵に歯向かわなければなりません。

西日のせいでランニングを辞めるなんて言語道断。

すこしでも西日ストレスを緩和するためにぼくが考えたのが、走る時間帯をずらすことと、サングラスをかけながら走ることでした。

・・・

いや、だからなんだよ?

という声が聞こえてきそうなのですが、まあ、ランニングって気持ちいなってことです。

雑記

創作活動は、「身勝手」であるべきですよね。

誰かに見てほしいからとか、誰かに褒められたいからとか。

お金が欲しいからとか、閲覧数を稼ぎたいからとか。

だから個性が生まれるし、コアなファンも生まれる。

だから、ぼくのブログも、基本的に身勝手に書いています。

わがままにテーマを考えて、わがままに書いて、わがままに編集する。

わがままって、「我が儘」と書きます。

自分の好きなようにする。自分に正直に活動する。

それが、創作活動の根本だと思うわけです。

たとえば、最初はおもしろかったクリエイターも、大衆や視聴者に媚びりはじめた途端に、そのオリジナリティに陰りが見え始めてしまうことはよくあることです。

最近のテレビがマンネリ化・画一化しているらしいのも、出演者の細かな表現にいちいち文句を垂れ流したりするような一部の大衆に媚びりまくっていることが原因なのかもしれません。

もちろん、なにかを作ることの目的が「創作意欲」そのものではなく、「お金」とか「名声」であれば、がんがん大衆に媚びた方がいいとおもいます。

人気度や視聴率などを計算して創作活動をした方がいいと思います

ですが、特にそういう目的はなくて、ぼくみたいに、純粋に自分の好きなものをつくって自己満足したい人。

そういう人は、わがままに、身勝手にガンガン創作活動をしていく方がいいのかなと思います。

・・・以上のことを、最近会社の同僚と議論していました笑。

さて、次はどんな記事を書こうかしら。

#53 【着任一か月で公務員に絶望】期待を裏切らないつまらなさ

こんにちは、あきとです。

先月晴れて大学を卒業して今年の四月から公務員として働きはじめました。

いろいろとめんどうくさい規約があるので、ぼくの仕事内容について赤裸々につづることはできないのですが、ちょっとブログでストレスを発散したい事柄がでてきたので記すことにしたいと思います。

それは、公務員という仕事がいかにつまらないかということです。

ぼくだってもちろん、ある程度の退屈さは覚悟していたつもりです。

公務員の仕事内容に「驚天動地の面白み」なんてあるわけないですから、鼻から期待なんてしていませんでした。

もちろん、中には公務員の仕事に生きがいを見出している方もいると思いますし、職業によっては、時代を先取りするような研究開発を行っている方もいるでしょう。なので、まあ、十把一絡げに「公務員=たいくつ」と言いたいわけではないので誤解なきよう。

ただ、ぼくが今している仕事内容は、当初のぼくの想像をはるかに超えるほどの退屈さ・つまらなさを兼ね備えていたわけです。

あまり具体的なことはいえませんが、たとえば、「郵便発送」とか「FAX送信」とか。

マジで高校生とか大学生のパートの事務員でも雇った方がいいんじゃないかレベルのルーティンワークをやらされています。

一応ぼくにも、ある程度は難しいとされている大卒レベルの公務員試験をクリアして、(自分と相手が)お互いに都合のいいことしか言わない面接試験をクリアしてきたという自信があります。

ただの暗記試験じゃないかといわれればそれまでですが笑

もちろん辞めない

と、いろいろと自分のお仕事にたいして愚痴をこぼしてきたわけですが、別にぼくは公務員という労働から早期撤退するつもりはありません。

ぼくの職場はほぼ残業がないですし、土日祝日は確実に休み、有休もとれる(というか取らされる)というありがたい環境を享受できているからです。

むずかしい試験を乗り越えてきたからこそゲットできる至福の権利ですね。

公務員をやめるとなると、これらの恵みを自ら手放すことになります。

中には、公務員の退屈さに耐えきれない方もいるでしょう。

そして、自分に秘められた内なる可能性とやらを信じてしまい、

「自分には輝ける場所がきっとあるはずだ!うおお!」のような誇大妄想と自惚れに惑わされてしまう方もいるでしょう。

特にいまの時代の若者には、ぼくも若者ですが、ホリエモン症候群とかジョブス症候群にり患している方が多い印象があります。

これらの症候群に見られる症状としては、過剰自己愛や過剰自信症などがあります。自分の考えが周りよりも一歩進んでいるという浅はかな勘違いをしてしまう点もありますね。いや、イタイです!

なんか変な方向に話が進んでしまいました。

それはただの飽き性

公務員を含めて、いまの仕事をやめようがやめまいが人の勝手です。

ただ、仕事というのは続けてからこそそれなりの楽しさとかメリットが見えてくるものです。

「今」がつまらないからやめようという近視眼的な態度は、あまり生産的ではない気がします。

だってそれって、ただの飽き性であり、自分に合わないものはすべて認めたくないという子どもじみた精神性をもちあわせていることの証左でもありますからね。

まとめ

やっぱり公務員という仕事はつまらなかった。

それだけではなく、ぼくが予想していた退屈さをはるかに上回る非生産的な仕事ばかりをやらされる毎日を過ごすことになってしまいました。

ただ、だからといって仕事を辞めたいとは思いません。

ぼくみたいな現実主義者・心配性な臆病者からすれば、「要らぬ心配・無駄な不安」を抱えながら生きていかなくていいだけでも大きな価値になるからですね。

しかもぼくの職場って、成果主義・・・。

みたいなことを書くと記事が長くなりすぎるので、今日はここまで。

雑記

着任以来楽しみにしていたゴールデンウイークがはじまりましたね。

特にやりたいこととかはありませんが、のんびりしたいなと思います。

うん。といっても、たぶん暇を持て余すと思うんですよね笑。

まあ人生を生きること自体そもそも暇つぶしみたいなところがあるので、ゲームやら読書やらをしながら暇つぶしをしていきたいなああと思ってます。